2018年度の学部入学式(4月9日・東京国際フォーラム)および大学院入学式・助産学専攻科入学式(4月2日・四谷キャンパス)を挙行しました。
今春は、3306人の新入生(学部2790人、大学院506人、助産学専攻科10人)の新入生を迎え入れました。9日午後には、聖イグナチオ教会主聖堂において、入学感謝ミサが執り行われました。
2018年度学部入学式 学長式辞
新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。また、ご家族、ご関係の皆様、本日は誠におめでとうございます。
社会は様々な側面で変化を続けています。グローバル化はその象徴的事象であろうと思いますし、また、デジタル化の加速が大きなインパクトを社会に与えようとしています。現代は、この二つの大きな要因が同時に進行しながら社会に変化を引き起こそうとしており、人類社会が今までに経験したことのない変化に直面していると言えます。そしてそれは、緩やかな”変化”ではなく、劇的な”変革”と呼ぶ方がふさわしいでしょう。
このような社会変革の中で、私たち人間は、特に若い世代の皆さんは、どのように成長していくべきでしょうか。なぜこの問いかけを考える必要があるのか? それは、この社会変革においては、社会の倫理や価値さえも変化していくと予想されるからです。そして、その変化の先を誰も知りません。社会制度、産業構造、就業の様態も変化していく中で、新たな倫理や価値を創造していかなくてはなりません。このことに欠けるプロセスを踏むことは、人類の発展、存亡に大きく関わる重大な結果を引き起こしかねないのです。文字通り、新しい社会を創る、新しい時代を創るという気概と冷静な展望力が皆さんに求められています。
さて、倫理観さえも変化する社会において、良い人生とは何か?という問いに対して、その答えをどのように見つければよいでしょうか。それは自分自身の確固たる信念を見つけることであろうと思います。社会のグローバル化は混乱も招きます。AI、IoT、Big Dataに大きな期待がかかる一方で、人間の役割についての不安も掻き立てます。この社会の変化がどこまで、どのように進むかを誰も見通せないという事実があります。このことを“不確実な社会”と呼ぶ人もいますが、私はそうは思いません。そもそも、確実な社会など存在しないのです。もし人類の歴史の中に確実な社会が存在していたとすれば、今、この時に、環境問題、貧困問題に直面しているでしょうか?社会の変革は常に訪れます。今はその変革の真っ只中であり、それであるがゆえに、人間の社会に大きな発展をもたらすチャンスでもあるのです。ただし、この発展は、正しい倫理、意義のある価値に立脚しなくてはなりません。
このような社会情勢と向き合うためには、自分自身の確固たる信念をしっかりと持つことが重要です。それでは、その信念をいかに醸成し、維持するのでしょうか。それは、深く、広く、そして創造力を生み出す教養を身につけることであると思います。皆さんには、大学での学びの中で充分留意していただきたいことがあります。それは、知識や情報と教養との区別です。教養は単に蓄えればよい、あるいは何らかの手段で入手できれば良いというものではありません。教養は応用力、創造力を発揮する源泉です。そして何よりも、教養は信念を生み、信念を育み、そして信念を維持します。
上智大学は、9つの学部、29の学科で構成されています。学部学科では、それぞれの専門性が培われます。それは、知識の整理ではなく、課題を見つけ、課題を解決するプロセスを経験し、実践するということでもあります。その専門性は、グローバル社会での振る舞いに信頼性を与えます。なぜその考え方を適用するのか、なぜその結論に至るのか、これらの議論の中でその人のバックグラウンドとなるからです。一方で、深い教養に裏打ちされた主張や説得は、その人の信念を伝えます。社会への向き合い方や倫理観、人生の価値観などは、それぞれの固有の信念に基づくべきでしょう。このように、専門性と教養を兼ね備える教育が、上智の特徴と言えます。自分が求める専門性と教養とを、有機的に結合することを試みてください。経験、体験によって得られる教養も必要ですし、社会を分析、展望する基礎的な力は、これからの社会ですべての人が備えるべき力でしょう。
先ほど、カトリックセンター長からマタイによる福音書の一節が紹介されました(*)。与えられた小さなチャンスが、忍耐の中で育まれ、正しい生き方につながる過程が説かれています。小さな種が少しずつ成長し、よい世界、よい人生を導いていく過程は、まさに人間の成長そのものを表しています。教養を培うということは、人間のあり方や社会への貢献について深く学ぶということでもあります。
私たちは皆さんを心から歓迎します。共に、新しい社会を展望し、人間と社会のあり方について議論し、私たちの役割について考えようではありませんか。豊かな人間性、応用力を生む教養、深い専門性を養い、常に他者のために尽くし、他者と共にある存在へと皆さんが成長していくことを祈念して、私からの式辞といたします。
2018年4月9日
上智大学長 曄道 佳明
(*)マタイによる福音書13章3~9節
イエスはたとえを用いて群集に多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい」