貧困の象徴であり排除すべき対象と思われがちなスラムですが、総合グローバル学部の下川雅嗣教授は「貧困者が発展の第一歩を踏み出す場所」と位置づけます。カトリックの司祭でもある下川教授が貧困者の支援にかける思いとは。
私はアジアを中心とした都市の貧困層、特にスラムにおける経済発展に関心を抱いて研究しています。この研究分野はDevelopment Economics、日本語では開発経済学と訳されています。でも私は「開発」という訳が気になります。
開発経済学と言う場合、主体は先進国になり「発展途上国をよりよく変えていく」という上からの視点になりがちです。しかし、本来の主体は途上国の貧困者です。Development Economicsを「経済発展論」と訳すだけで、主体は貧困者に移ります。このような視点の移動こそ、この研究に重要なことだと考えています。
スラムに暮らす人々はケアの対象者ではなく、行動を起こす主体者
アジア各地に存在するスラムは、先進国の視点で見ると「問題がある場所」かもしれません。しかし貧困者にとっては「問題解決の場所」です。農村から身一つで都市に出てきたとき、スラムのコミュニティが命を支えてくれるのです。
ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは「スラムの人はケアの対象者ではなく、行動を起こす主体者である」と言いました。まさにその通り。私たち外部者がすべきことはレールを引くことではなく、彼らの望む行動を阻む障壁を取り除くことです。
とはいえ私も、当初は「貧困層の人々を救ってあげなくては」と考えていた1人です。そのとき上智大学の元助教授であるアンソレーナ神父に「なぜ君はスラムで闇ばかり探しているの?」と言われ、ハッとしました。私はスラムの悲惨さばかりに目を奪われ、よさなど気にも留めなかった。また、経済学の指導教授からは「スラムに人が集まるということは、経済学的な合理性があるからでは」と指摘を受けたことも、視点を変えるきっかけになりました。
貧困層が自立するための障壁を減らすために、何ができるか
見方を変えると、彼らの経済活動は非常にクリエイティブです。露天商や屋台、縫製作業や人力車夫、廃品回収など多岐にわたり、このような自主的な経済活動が貧困からの脱却をもたらすと私は考えています。ただ、そこには三つの障壁が存在します。
第一に場所の障壁。店も自宅もいつ強制撤去されるかわからないため、事業を発展させる意欲を挫くのです。第二にお金の障壁。事業には資本が必要ですが、金融機関はスラムの人にお金を貸しません。第三に市場参入の問題。資金を得て事業を始めても、既得権益に阻まれて市場に参入できず、できたとしても買い叩かれる。これらの障壁を取り除くにはどうすればいいか、どのようなコミュニティを作ればいいか、そんな研究をしています。
現在私はタイ、パキスタンを中心に、カンボジア、インド、ミャンマーなどのスラムを訪れて調査を進めています。その過程で創意工夫ある取り組みを見つけると、別の国のスラムでも紹介します。上から目線の改革案には反発する彼らも、別のスラムの成功事例には前向きな反応を示してくれますし、次に訪れたときには明らかな変化が見られるのです。そんなとき、私は改めて実感します。問題は貧困ではない。自由を奪われていることなのだ、と。
この一冊
『被抑圧者の教育学』
(パウロ・フレイレ/著 小沢有作・楠原彰・柿沼秀雄・伊藤周/訳 亜紀書房)
著者はブラジルの貧困層に識字教育を行った教育学者です。真の教育とは貧困者自身が自分の貧しさの理由に気づき、意識化して行動し、社会を変えることが目的なのだと語ります。教育に関する視点を180度変えてくれた一冊です。
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下川 雅嗣
- 総合グローバル学部総合グローバル学科
教授
- 総合グローバル学部総合グローバル学科
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1985年東京大学大学院工学系研究科修士課程修了(計数工学専攻)、労働省勤務、1989年イエズス会入会、1996年横浜国立大学大学院経済学研究科修士課程修了、1999年横浜国立大学大学院国際開発研究科博士後期課程修了(Ph.D)、2001年カトリック司祭叙階、2001年より上智大学外国語学部国際関係副専攻准教授を経て現職。
- 総合グローバル学科
※この記事の内容は、2023年10月時点のものです