ナショナリズムを乗り越え、デジタル技術を外交ツールとして生かすために

グローバル教育センター 
准教授 
李 ウォンギョン

サイバー空間における東アジアのナショナリズムについて研究を重ねてきたグローバル教育センターの李ウォンギョン准教授。テクノロジーがもたらす光と影の両方に目を向けながら、デジタル技術を活用した新たな外交のあり方を模索しています。

デジタル技術の進化は、国と国との関係に大きな影響を及ぼします。その中でも、私はこれまで、日・中・韓をはじめとする東アジアを対象地域として、サイバー空間におけるナショナリズムの形成について研究してきました。

私が研究を始めた2000年代のサイバー空間は、現在より殺伐とした側面もありました。特に各国のインターネット掲示板では、歴史認識や領土問題などを巡って、匿名ユーザーによる誹謗中傷合戦が激化。それを引き金として、政府機関などのホームページがサイバー攻撃にさらされる事件も多発しました。

なぜそのような事態に陥ってしまったのか。掲示板上の言説を分析することで見えてきたのは、過激な書き込みをしているユーザーはごく一部なのにも関わらず、その内容の刺激性に両国のユーザーが過剰に反応し、ハレーションを引き起こしているという構造です。またヨーロッパをはじめとする他地域との比較を通じて、歴史的に権威主義的な政府を経験したことのある国では、ネット上に右翼コミュニティが生まれやすいという傾向も明らかになりました。

生成AIのような新技術が差別や偏見を助長することも

幸いにも2010年代以降は、ナショナリズムを背景としたサイバー攻撃の発生件数は大幅に減少しました。ネット上のコミュニケーションの場が掲示板からソーシャルメディアへと移行したこと、K-POPや日本のアニメなどグローバルに消費されるwebコンテンツが登場したことなど、さまざまな要因が挙げられますが、私自身は技術的・制度的な状況の変化が大きかったと分析しています。サイバー攻撃に関する法整備が進み、技術的にも攻撃者を追跡できるようになり、訴訟リスクが増大したことが抑止力となったのです。

それは裏を返せば、人々のネットリテラシーはさほど向上していないということにほかなりません。だからこそ今、私が危惧しているのは法の抜け道となる新たなテクノロジーの登場です。昨今、注目を集めている大規模言語モデルに基づく生成AIも、差別や偏見を助長するツールとして悪用されないとは限りません。英語のようなグローバルな言語に比べて話者数が少なく、価値観の偏りやすい日本語や韓国語などローカル言語ではそのリスクが高いと予想しています。

デジタル外交のポテンシャルを解き明かしたい

もちろん、デジタル技術にはポジティブな側面もあります。近年、外交分野では民間を巻き込んでの広報活動や文化交流を通じて、相手国の国民や世論に直接働きかけるパブリック・ディプロマシーという考え方に注目が集まっていますが、この推進にはソーシャルメディアや動画メディアといったプラットフォームの活用が欠かせません。そこで具体的にどのような言説が飛び交い、それがどのような影響をもたらしているのか。調査・分析を重ねていきたいテーマの一つです。

オーストラリアなどで始まっている、ソーシャルメディアを通じて若者の声を可視化し、それを政策に反映する試みにも注目しています。こうした取り組みは外交戦略にも応用できるはずだからです。世界的に見ても若年層のネットユーザーが多く、かつ高齢化が深刻な社会問題となっている東アジアにおいては、特に効果的なアプローチとなり得るかもしれません。テクノロジーの進歩に目を配りながらデジタル外交の新たなポテンシャルを模索していくことも、これからの私の研究者としての使命だと感じています。

この一冊

『タワー』
(ペ・ミョンフン/著 斎藤真理子/訳 河出書房新社)

647階建ての巨大タワー国家・ビーンスタワーを舞台にしたSF小説。本書は社会の階層性への皮肉など鋭い批評性を含んでおり、テクノロジーと国家の関係性を考える上でも、示唆に富んだ一冊です。

李 ウォンギョン

  • グローバル教育センター
    准教授

高麗大学英語英文学科卒、ソウル大学外交学科大学院修了、早稲田大学国際情報通信研究科博士後期課程修了。国連開発計画(UNDP)、経済協力開発機構(OECD)などの国際機関での勤務、駐日本国大韓民国大使館の先任研究員、上智大学特別研究員、特任助教などを経て、2023年から現職。

グローバル教育センター

※この記事の内容は、2023年5月時点のものです

上智大学 Sophia University