法学部の奥田純一郎教授は、法哲学を専門に研究しています。法哲学とは、法の根幹となる考え方のこと。法律とはどうあるべきか。法の正義とは何か。医療問題や生命倫理を素材に、公正な法のあり方を考えています。
私の専門は法哲学です。法律には憲法、民法、刑法や訴訟法などさまざまなものがありますが、法哲学は、それら個々の法律や現在運用されている法律の背景にある法の理想、理念、本質などについて考究する学問です。個々の法律が時代や現実に即して変わったとしても、法哲学、すなわち元になる考え方が変わるわけではありません。法律とはどうあるべきか。法の正義とは何か。それは永続的に考えていかなければならないものです。
法哲学に興味を持ったのは、学生時代に法哲学の授業を受けたことがきっかけです。もとももとは実務法曹を目指していたのですが、法を学ぶうちに、変わる可能性のある法律を学ぶことに違和感を覚えるようになりました。時期を同じくして、たまたま参加した臓器移植のシンポジウムで、医療問題と生命倫理について考えさせられました。脳死と判定された妊婦さんも出産できることを知り、脳死を死とみなしていいものか、人の死ありきで行われる臓器移植はどう考えるべきなんだろう、と思うようになったのです。法の世界で医療問題と生命倫理に関わる問題を考究すること。それは今に至るまでずっと、私の主な研究テーマとなっています。
人々に行動指針を与える。それが法律の大きな役割
医療や生命倫理における法律は曖昧な部分が多いのが現状です。例えば終末期医療。どこまで治療をして、本人の意思確認はいつ、どのように行うのか。本人は延命措置を希望していないが家族が希望した場合はどちらを優先するのか。相反する意向のどちらか一方を選択した場合、法律はどのような判断をするのか。特定の医療行為をいつ、どこまでやっていいか、あるいはやらないでいいかを定めた法律はないのです。
なぜなら法律は、性質上どうしても杓子定規になりやすく、個々の事情をうまく拾いきれないから。しかし、大枠を定めることは大切です。ある人が許されたことが、別の人では許されないケースなどがあってはなりません。人々に行動指針を与えることが、法の果たす大きな役割なのです。
法の正義とは、多様な当事者を公平に扱うということ
法律が目指すべき目的を正義と呼びます。法の正義とは、個人的な倫理観、あるべき道という意味ではなく、多様な当事者を公平に扱うという意味です。法の根幹にあるのは、万人を等しく扱うべし、という考え方です。一方で医療においては、その人がその人らしく最期まで生ききることができるようにすること。誰かの都合で治療を止めさせられることなく、無理やり生かされることもなく、生涯を全うできるようにする。それを助けるための法律の整備が必要だと考えます。
多様な人が多様な生き方を選択するという意味で法学と医学は似ていると思います。しかし実際には、両者の立場や考え方は異なる場合が多く、議論は一筋縄ではいきません。議論の基盤を作ることも私たちの仕事ではないでしょうか。
関係する論文を読みこみ、関連の学会へ行ってさまざまな意見や実態を把握し、必要な議論を行っていきたい。いずれ研究結果を1冊の本にまとめて世に出すつもりです。それがより洗練された議論を進めるためのきっかけとなれば、研究者として本望です。多様な考えを虚心坦懐に受け入れ、正確に理解し、嘘をつかず、その上で自身の考えを練り上げて展開し批判に耳を傾けるという方法で、誠実に研究を続けていきたいと思っています。
この一冊
『共生の作法 会話としての正義』
(井上達夫/著 勁草書房)
学生時代、現行法を学ぶことに疑問を感じていたときに出会った恩師の本です。今ある法律は本当に正しいのか、変えるべきところはあるか、その判断基準は何か。法の根幹を考究する現在の研究に進むきっかけとなりました。
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奥田 純一郎
- 法学部法律学科
教授
- 法学部法律学科
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東京大学法学部卒、東京大学大学院法学政治学研究科基礎法学専攻修士課程修了、東京大学大学院法学政治学研究科基礎法学専攻博士後期課程中退、修士(法学)。日本学術振興会特別研究員(PD)、上智大学法学部法律学科助教授、准教授を経て、2009年4月より現職。
- 法律学科
※この記事の内容は、2022年10月時点のものです