キリスト教を入り口に、人の心に宿る宗教性を探る

神学部神学科
准教授 
酒井 陽介

日本人は宗教を持たない人が多いと言われますが、困ったときには祈り、妖怪や鬼や幽霊の物語になじみながら成長するという側面もあります。人々の心のなかにある宗教性について、神学部の酒井陽介准教授が語ります。

私の専門は宗教心理学という分野ですが、人間の心の奥にある「信じる心」に関心を抱いています。カトリックの司祭でもある私は、現代の若者たちに「キリスト教を信じなさい」と求めることはしません。キリスト教という伝統宗教を入り口にしつつ、自分のなかにある宗教心やスピリチュアルな側面に気づいてほしいと考えているのです。

人生には「見えない大きなもの」にすがらなければいられない瞬間がある

特定の宗教を持っていない人でも、大切な人が病気になると「治りますように」と祈りますよね。受験の前には「合格しますように」と神頼みする人もいるかもしれません。実際には、病気を治すのは医師ですし、合否はテストの結果で決まります。理屈で考えれば、祈ることに合理性はありません。でも、私たちは祈る。目に見えない何か大きなものに向かって。それが誰の心にもある宗教心です。

現代のスピリチュアリティは、日本のサブカルチャーにも感じます。アニメや漫画で大ヒットした『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』、ポケモンやジブリ作品などを思い出してください。鬼、呪術、モンスター、精霊などが存在する世界観を、多くの人たちが当たり前に受け止めています。同じことは行事にも言えます。正月には初詣へ行き、七五三を祝い、ハロウィンやクリスマスを楽しんでいます。「宗教を持っていない」と言う人たちの日常に、霊的な関心があふれているのは興味深いことです。

神学というと聖書や神学の古典の研究をイメージする人も多いと思います。それももちろん大切なのですが、心理学と宗教学を結びつけるためには、いまを生きる多くの人と語らい、人々の霊的な関心に触れることも重要なのです。

自分の宗教性に気づくことは、心の傷やトラブルから身を守る術となる

現代の日本は、科学的であること、論理的であることが重視される社会です。しかし人生には、理屈だけでは到底受け止めきれないことがあるものです。出会いと別れ、誕生と死、心や体の痛み……。これらと対峙したとき、私たちは己の小ささや限界と向き合うことになります。それを受け容れ、人生を前に進めていくためには、人間の知性だけでは足りないのです。人知を超えた「何か大きなもの」の存在が不可欠になったとき、現代の日本人に必要なものは何か。それこそが、自分の内側にある宗教性だと思うのです。

現在の日本では、旧統一教会の問題をはじめカルト宗教などのトラブルが絶えないという側面もあります。「宗教リテラシーを持とう」と言われますが、多くの日本人は宗教教育を受けていないため、容易に異質な宗教に取り込まれてしまう可能性もあります。

しかし自分の内側にある宗教性に自覚的であれば、「これは何か違う」「自分が求めているものではない」と気づくことができるはず。逆に、科学的に説明できない存在を否定する硬い心は、折れやすく騙されやすくもあるのです。

私たちのなかには、信じる心も信じない心も、信じることにあらがう心もあります。そこに自覚的になるためにも、伝統宗教であるキリスト教は有効な入り口になると私は考えています。

この一冊

『THE HOLY LONGING』
(RONALD ROLHEISER/著 DOUBLEDAY)

日常に存在するキリスト教の霊性について書かれた本です。タイトルにもあるLonging(望み)とは単なる欲ではなく、心の深い部分にある「私はどう生きたいか」という願いです。Longingを自覚することは生きるうえでの力になるはずです。

酒井 陽介

  • 神学部神学科
    准教授

上智大学神学部卒業、教皇庁立グレゴリアン大学心理学研究科博士後期課程修了。博士(心理学)。教皇庁立グレゴリアン大学心理学科講師を経て、2021年より現職。

神学科

※この記事の内容は、2023年6月時点のものです

上智大学 Sophia University