上智大学法学部国際関係法学科の岡部みどり教授は、欧州連合(EU)の移民・難民政策が、司法・内務官僚主導による調整から、各国首脳間の政治的な交渉へと重心を移し、EUの「域内外交」の主要課題へと変化したプロセスを明らかにしました。
EUでは、難民をどの国が受け入れ審査をおこなうかをめぐり、ギリシャやイタリアなど国境に位置する国に負担が偏るという課題が長く続いてきました。この分野の政策は、各国の出入国管理や司法・内務を所管する官僚(司法・内務、JHA ※1)のネットワークによって、技術的な調整がなされてきました。しかし、2015年に多数の難民が流入した「欧州難民危機」を機に加盟国間の対立が深まり、制度改革の試みは10年近く行き詰まっていました。
2024年になって、大規模な制度改革「移民・庇護に関する新たな協定(New Pact on Migration and Asylum、以下「新協定」)」が成立し、発効しました。岡部教授は、行き詰まっていた制度改革が、なぜ2024年に大規模な合意が成立しえたのかという問いに着目しました。
本研究では、新協定に至る交渉を「決定の場」「決定の論理」「正統性(決定が正しいと認められる根拠)」という3つの観点から分析しました。分析の結果、主たる決定の場が司法・内務官僚のネットワークから各国首脳が集まる欧州理事会(※2)へと移ったこと、決定を動かす論理が、譲歩や見返りを交換する「取引型の外交」へと変わったこと、そして「法的な整合性」よりも「政治的に合意できるかどうか」が決定を支える「正しさの根拠」に変わりつつあることがわかりました。
岡部教授は、これらの変化を通じて、移民・難民政策がもはや官僚による技術的な調整の領域ではなく、加盟各国の首脳が担う「域内外交」の主要課題へと構造的に転換していることを明らかにしました。
本研究成果は、2026年5月17日に国際学術誌「Journal of Common Market Studies」にオンライン掲載されました。
EUの移民・難民政策は、各国の司法・内務を担う官僚が専門的な知見にもとづき、世間の耳目を集めない形で調整する「技術的な」分野だと考えられてきました。従来研究でも、その調整機能の中心として、各国官僚がEUや加盟国間でつくる司法内務(JHA)のネットワークが重視され、長きにわたって、政策の「決め方」そのものは、変わらない前提として扱われてきました。近年においては、移民・難民問題が各国の国内政治で大きな争点となるにつれて、各国首脳の動きや欧州理事会の役割が増しているという指摘も出ていました。
こうしたなか、2024年に発効した新協定は、難民審査や国境管理、加盟国間での負担の分かち合いなど、複数の制度をひとつに束ねた大規模な改革として成立しました。
しかし、この新協定の成立の過程において、首脳交渉や欧州理事会の役割の変化が実際にどのように改革に影響したのか、またそれが、EU統治のしくみ自体を構造的にどう作り変えたのかは、十分に明らかにされていませんでした。
従来、移民・難民政策が官僚に委ねられてきたのは、移民・難民問題が加盟各国首脳にとって優先度の高い政治課題とは見なされず、専門家どうしの調整に広く任されてきたためです。その基盤となっていたのが、どの国が難民申請の審査責任を負うかを定める「ダブリン規則(※3)」でした。しかし、本規則のもとでは、難民が最初に到着するギリシャやイタリアなど国境沿いの国に負担が偏るため、その是正が長年の課題となっていました。負担を分かち合うために提案されたリロケーション(難民を加盟国間で再配置するしくみ)は、国家主権への挑戦と受け止められて強い反発を招き、改革は行き詰まっていました。
岡部教授は、2020年に欧州委員会がダブリン規則に代わる包括的な解決策として打ちだした新協定が転機となり、これを境として「決定の場」が移ったと分析しました。これにより、それまで官僚の手元で進められてきた交渉は、各国首脳が集まる「欧州理事会」を主な舞台とする政治交渉へと移っていきました。形式的な立法手続きそのものは変わらないものの、どこまで譲歩できるかという交渉の限界を実際に定めたのは、各国首脳でした。
岡部教授は次に、合意を導いた「決定の論理」そのものが変化したと指摘します。実際の首脳交渉の場では、複数の制度改革をひとつに束ね、ある論点での譲歩を別の論点での見返りと交換する、パッケージ取引による合意形成(取引型の外交)が用いられました。
例えばイタリアは、EU周縁の国という立場を交渉の強みとして、NGOによる海上救助を保護する条項に強く反対し削除させました。さらに、庇護手続きに関する規則(APR、庇護手続規則)への反対を取り下げる見返りとして、EUの国境管理を担う機関であるFrontex(フロンテックス、欧州国境沿岸警備機関)の運用予算や送還の取り決めをめぐる将来の約束を取り付けたとされます。 ハンガリーやポーランドは難民の受け入れ割り当てに最後まで抵抗し、ドイツは人道的な保護を重視しながらも全体の合意を優先しました。岡部教授は、こうした見返りの交換によって合意が形づくられた点に、専門的な調整とは異なる外交交渉の論理を見いだしています。
さらに岡部教授は、政策決定の「正しさ」を支える「正統性」の根拠も変化したと分析します。かつては法的な整合性や国際的な規範との一致が重んじられていましたが、新協定では「政治的に合意できるかどうか」が重視されました。難民受け入れを拒む国も、資金拠出などで責任を肩代わりすることで合意にいたりました。 岡部教授は、新協定がもたらした合意を、すべての加盟国が連帯に踏み込んだ成果ではなく、各国が受け入れた妥協の積み重ねによる部分的な前進と位置づけています。
本研究を主導した岡部教授は、今後の見通しについて「長期的には、EUの移民・難民ガバナンスはより政治化・危機対応化し、加盟国間交渉への依存を強める可能性があります。その結果、移民・難民政策は恒常的な『域内外交』の主要アジェンダとして位置づけられていくことが予想されます」と述べています。
※本研究は、日本学術振興会(JSPS)の科研費(23K25489)の助成を受けて実施されました。
※1 司法・内務(JHA): 各国の出入国管理・警察・司法などを所管する官僚が、EUや加盟国間でつくる政策調整の枠組み。
※2 欧州理事会: EU加盟国の首脳が集まる最高位の協議体。政策を立案・提案する執行機関である欧州委員会とは異なり、首脳どうしが重要課題を直接交渉する場。
※3 ダブリン規則: 庇護申請の審査をどの加盟国が担うかを定めるEUの規則(1990年に合意、その後改訂)。最初に到着した国が責任を負うため、国境沿いの国に負担が偏るとされる。
JCMS: Journal of Common Market Studies
Reconfiguring European Union Migration Governance: From Technocratic Policy Harmonisation to Transactional Diplomacy Under the 2024 Pact on Migration and Asylum
10.1111/jcms.70129
Midori Okabe
上智学院広報グループ (sophiapr-co@sophia.ac.jp)
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EUの移民・難民政策の構造的変化を解明