簡単には死ねない時代、長期化する老いを支える言葉とは

実践宗教学研究科死生学専攻
教授 
寺尾 寿芳

高齢化が進む現代、老いや病気とともに過ごす時期は長期化しています。死に向かうゆるやかな下り坂の過程で、人はどんな言葉に救いを求めるのか。実践宗教学研究科の寺尾寿芳教授が語ります。

人間は死について考えるとき、人間を超越した何かに答えを見出そうとするものです。その代表は宗教ですが、哲学、倫理学、芸術、文学、ときには政治や経済に至るまで、さまざまなものが考えに影響を与えます。それらの知見を集め、宗教的な視点から現代的な問題に対応していくのが実践宗教学です。

私の場合、キリスト教と仏教の二つの伝統宗教を研究対象にしながら、死を迎えるという人生の一大事業に何らかの貢献ができないか、そんな思いで研究しています。

宗教にあふれている言葉を削って削って削って、最後に残るもの

私が着目しているのは、宗教で語られる言葉です。宗教は、あまりにも多くの言葉を語りすぎました。どんなに必死に学んでも、消化しきれないまま一生が終わるほどです。では逆に、言葉をとことん削っていった場合、残るのはどんな言葉なのか。そこに興味を持っています。

主な研究対象は、宗教を生きた人たちです。例えばヨーロッパで学んだ日本人のカトリックの神父のなかには、日本で育まれた自らのスピリチュアルな面と、現地のキリスト教との矛盾に悩んだ経験のある人が少なくありません。その苦しみのなかで真剣に自らの精神性を考えたとき、導き出された言葉は意外にも仏教の言葉だということもあるそうです。

井上洋治さんというカトリックの神父は、「南無アッパ」という言葉を生み出しました。仏教の南無阿弥陀仏という念仏の「南無」と、キリストが聖書のなかで「父なる神」に呼びかける「アッバ」を組み合わせた祈りの言葉です。

このような言葉は従来の神学では傍流とされてきましたが、実践宗教学として考えたとき非常に興味深いのです。伝統的な宗教の言葉を新しく編集し直し、自らの人生と重ね合わせ、他者の心にも響く言葉に仕上げていく過程は、非常に興味深いものです。

モーレツ会社員を卒業した人たちは言葉を求めている

高齢化が進み、老いの期間は長くなる一方です。その途上には、病気や認知症が待っているかもしれない。誰しも不安や迷いを抱えていますが、それを表現したり解決したりする言葉を持っている人は少なくありません。会社員として高度経済成長期やバブル期を生き、ビジネス用語や経済用語はたくさん知っていても、自分の思想や哲学を語る言葉を使ってこなかったのです。

私の周囲にも、定年退職を迎えた友人たちがたくさんいます。今まで私の仕事にまったく興味のなかった彼らが「おまえの研究、おもしろそうだな」などと話すのです。そこに自分の求める言葉があると気づき始めたのでしょう。

「老後の備えは早めにしなさい」と言われますが、貯蓄や住む場所だけの問題ではありません。死に向かう精神の準備こそが重要なのです。それは死の直前では間に合いません。時間をかけて熟成させていかなくてはいけないものだからです。

これは老若男女問わず、すべての現代人に必要な課題です。美術や音楽を楽しむように、宗教を手軽に学び、そこからヒントを得られるようになればいいと私は考えています。実践宗教学はきっと、その一助になるはずです。

この一冊

『生と死の境界線』
(岩井寛/口述 松岡正剛/構成 講談社)

がんに侵された精神科医・岩井寛が、生と死のはざまにある自己を死の直前まで語り、作家の松岡正剛が書き記した壮絶な本です。宗教的なものは一切存在せず、終始理性的・論理的なのですが、私はそこに崇高さとともに苦しさを感じ、その「先」を求めたいと思ったのです。

寺尾 寿芳

  • 実践宗教学研究科死生学専攻
    教授

早稲田大学政治経済学部卒業、南山大学大学院文学研究科神学専攻博士後期課程修了、博士(文学)。和歌山信愛女子短期大学教授、聖カタリナ大学教授を経て、2019年より現職。

死生学専攻

※この記事の内容は、2023年11月時点のものです

上智大学 Sophia University