石炭産業を過去の遺物にせず、炭鉱が築いた知見と教訓を未来へつなぐ

かつて日本のエネルギー産業の中心にあった石炭。総合人間科学部の中澤秀雄教授は、元炭鉱夫やその家族の聞き取り調査を行いながら、炭鉱の記憶を未来のまちづくりに生かす方法を模索しています。

私の専門は地域社会学です。エネルギー産業と地域社会の関係、なかでも石炭産業を中心に研究しています。

日本の石炭産業は明治期に始まり、1930年代から生産量が急増。石炭は「黒いダイヤ」と呼ばれ、戦後の復興を支える存在でした。炭鉱地帯には鉄道が引かれ、団地や学校が作られ、多くの人が暮らしました。北海道の夕張炭鉱では、ピーク時の1960年頃には約12万人が居住したそうです。ところが1950年代半ばから海外の石炭や石油に押され、日本の石炭産業は縮小します。炭鉱は閉山、人々は日本各地に散り散りになっていったのです。

「炭鉱の研究をしてくれてありがとう」と涙する元炭鉱夫たち

私が炭鉱の研究を始めたのは、2006年のことです。当時私が勤務していた北海道の大学に、夕張炭鉱での聞き取り調査記録が残っていたのです。石炭は終わった産業とされ、研究者もほとんどいなかった時代ですが、その記録を読むうちに「一時代を築いた産業に関わった人たちを、歴史の中に置き去りにしていいのか」という思いが湧き上がってきました。

彼らの「今」を知りたくて、調査に協力してくれる元炭鉱夫たちを訪ね歩いたのですが、まず見つからない。彼らは移住先で、炭鉱出身であることを隠していました。時代遅れの産業と、冷たい目で見られたからです。現代のディアスポラ(故郷を追われた人)でした。

一方で、炭鉱で働いた人たちの間には強い連帯があります。1人の人が信頼してくれると、別の人とつないでくれます。そして多くの人が「私たちに光を当ててくれてうれしい。ありがとう」と涙ながらに体験を語ってくれました。

石炭産業を研究する意義を実感した私は、2008年に同じ志を持つ研究者で「産炭地研究会」を結成しました。以来、本の出版や各地の炭鉱を結ぶネットワーク作りをしています。

小さな声を拾い集めることで社会の問題をあぶりだすのが、社会学

炭鉱研究の意義はいくつもあります。一つには、炭鉱という産業に関する知的基盤を作ることです。2015年に「明治日本の産業革命遺産」として三池炭鉱などが世界遺産に登録されましたが、これらを観光として成立させる意味でも、炭鉱や石炭採掘への知識は不可欠です。

また、かつて炭鉱の町に存在した良質のコミュニティには、現在のまちづくりに役立つヒントがあります。炭鉱の町では女性の団結力も強く、ポリオワクチンを輸入させるなど当時の政府を動かす活動もしていました。

国際的交流という視点でも、炭鉱は拠点となります。国は違っても、同じ苦労をしてきた元炭鉱夫たちはすぐ親しくなれるのです。20世紀の資本主義を新たな視点から見直すためにも、炭鉱の国際ネットワークは役立つはずです。

炭鉱の家族たちの人生も、多くの教訓に満ちています。私たちだって、いつ故郷を追われて散り散りになるかわかりません。東日本大震災に伴う福島第一原発事故はその一例でしょう。彼らの人生を聞き取ることは、彼ら個人の悲しみに寄り添う一方で、社会や政治に何ができるかというマクロの視点も提供してくれるのです。これこそが社会学の仕事だと、私は考えています。

この一冊

『ああダンプ街道』
(佐久間充/著 岩波新書)

昭和50年代、騒音や公害、交通事故などが多発したダンプ街道で、著者は住民と運転手の双方から丁寧に聞き取りを行い、社会的な問題を明らかにしました。大学時代、父の書棚にあったこの本を読んで社会学に目覚めました。

中澤 秀雄

  • 総合人間科学部社会学科
    教授

東京大学文学部卒、同人文社会系研究科博士課程修了、博士(社会学)。札幌学院大学社会情報学部専任講師、千葉大学文学部准教授、中央大学法学部教授などを経て、2022年より現職。

社会学科

※この記事の内容は、2023年7月時点のものです

上智大学 Sophia University