ボスニア・ヘルツェゴビナ、ヨルダン、アフガニスタン、東ティモールなどの紛争影響国で、教育の場を取り戻す活動を続ける総合人間科学部の小松太郎教授。その過程で見えた、平和を維持する教育の形や学びの真の意義とは?
21世紀の戦争の多くは民族間紛争です。紛争後も、対立していた民族が同じ国で暮らし続けることが多く、再び武力衝突が起こる可能性があります。平和を維持し、憎悪を次世代に引き継がないために教育が果たせる役割は何か、これが私の研究テーマの一つです。
南東欧に位置するボスニア・ヘルツェゴビナという国の例でお話しましょう。この地では1990年代に大きな紛争があり、クロアチア系(カトリック)、セルビア系(正教)、ボシュニアック系(イスラム教)という異なる宗教の三つの民族が戦いました。紛争後も、国内の地域によって力を持つ民族が異なり、学校ではその地域の多数派勢力の視点に立った教育が行われています。しかし、学校には地域社会の多様な民族の児童が通っています。現場の教師はどんな配慮をしているのでしょう。
歴史教育では一つの正解を求めず、異なる解釈を共有し合う
ある先生は、歴史の教科書を生徒に自由に選ばせています。クロアチア系の視点で書かれた教科書を使う子もいれば、ボシュニアック系の教科書を使う子もいる。書き手の視点が違うので内容も違います。授業では「どっちが正しいか」ではなく「何が書かれているか」を共有し、解釈が異なる理由を共に考えるのです。
単一民族の子だけが通う学校では、生徒も教師も凝り固まった考えを持つ可能性があります。そこで学校と現地の市民組織が協力し、異なる民族の学校との交流や活動の場を設けています。これは公教育ではないため放課後に実施されますが、市民組織が積極的に校長先生に働きかけているケースが多いようです。
先生方も紛争で心や体に傷を負っている人が少なくありません。それでも希望を失わず、次の世代に憎しみを継承させない教育をしようと、現場レベルで奮闘する姿に私も多いに刺激を受けています。
最低限の衣食住を手に入れたら、次の希望は「学びたい!」
私にはもう一つ研究テーマがあります。それは「紛争の影響を受けた社会で、人はなぜ意欲をもって学ぼうとするのか」というもので、難民へのインタビュー調査などを行っています。
人道支援と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、食糧や衣服、住む場所などです。ところが、難民キャンプで「何が必要?」と聞くと「教育」と答える人は非常に多く、親はもちろん子どもたちもそうなのです。日本の子どもに「なぜ学校に行きたいの?」と聞くと「友だちと遊びたい」と答える子が多いのですが、難民の子は「勉強がしたいから」と答えます。
紛争で十分な教育を受けられなかった東ティモールの若者たちに、「なぜ再度教育を受けたいと思ったのか」と聞いたときも同じでした。私は「教育を受けることで仕事に就きたい」という答えを予想したのですが、「学びたい」「知らないことを知りたい」と答える人が多いのです。学びというものは、人間の本質的な欲求なのだと実感させられます。
翻って日本の教育政策は、まだまだ子ども主体とは言えません。「教科書に書かれたことは正しい」「教育は学校で受けるもの」という一元的な考え方の転換や、多文化共生社会での学びを模索するとき、紛争後社会での新しい取り組みから学ぶことは多いはずです。
この一冊
『アイデンティティと暴力』
(アマルティア・セン/著 大門毅/編集 東郷えりか/訳 勁草書房)
戦争や対立といった危機の際、何が一番重要か。ノーベル経済学賞を受賞している著者は「選択肢だ」と説きます。自分のアイデンティティは自分で決め、ときには複数持つことも可能、大切なことは選択する自由だと教えてくれます。
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小松 太郎
- 総合人間科学部教育学科
教授
- 総合人間科学部教育学科
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上智大学比較文化学部卒、ロンドン大学政治経済大学院(LSE)修士、ミネソタ大学大学院博士(教育政策・行政)。国際協力機構(JICA)パキスタン事務所、ユネスコ・パリ本部プログラム担当官、国連コソボ・ミッション教育行政官、ユネスコ・ボスニアヘェルツェゴビナ事務所教育担当官、九州大学大学院准教授等を経て、2013年より現職。
- 教育学科
※この記事の内容は、2023年10月時点のものです