世界自然遺産保全のための地域協働、リスクコミュニケーションとは

地球環境学研究科地球環境学専攻
教授
織 朱實

世界自然遺産の保全と利用を両立させるために必要なシステムとは何か。地球環境学研究科の織朱實教授は、小笠原諸島のネズミ対策などを通じて、住民参加型のリスクコミュニケーション、地域との協働のあり方を研究しています。

環境省の小笠原諸島世界自然遺産地域科学委員会の委員として、約10年前から小笠原諸島の自然保全施策に関わってきました。2011年に世界自然遺産に登録された小笠原諸島の動植物は、隔離された島の環境に適応して独自の進化を遂げています。しかし、その代表例であるカタツムリが、人間が持ち込んだネズミによる食害で絶滅の危機に瀕しています。

環境省は無人島からネズミを駆除するため、2009年度から殺鼠剤の空中散布事業を実施してきましたが、2014年度に事業は中止。殺鼠剤散布に伴う住民への説明に不適切な情報があったためで、住民の間に不信感が強まったのです。関係者が、リスクに関する意見交換や情報共有を行うことをリスクコミュニケーションと言い、特に地域住民への情報提供、意見交換が重要ですが、それが十分に行われていませんでした。私は、リスクコミュニケーションの専門家として、この問題に取り組むことになりました。

リスクとベネフィットのバランスを地域で考える

小化学物質の分野で発展してきたリスクコミュニケーションですが、生態系はさまざまな種が相互に関連し微妙な均衡のうえで成立していることから、生態系保全については変化に柔軟に対応する順応的管理という視点が必要になってきます。そうした視点も入れながら、ワークショップなどさまざまなかたちで地域と意見交換を行ってきました。

特に重きをおいたのが、地域の皆さんが何を不安に感じ、どのような情報を欲しているかを明らかにすることでした。ワークショップが形式的なものに終わらないためには、参加した人が全員、自分の意見をきちんと聞いてもらえた、ほしい情報が得られた、と実感することが大切です。そのため各人の関心や興味がどこにあるのか。事前にヒアリングするなどの準備を念入りに行いました。

「なぜ空中散布なのか」「殺鼠剤散布によるリスク低減の手法の検討が不十分ではないのか」といった住民の疑問に丁寧に答えていった結果、「殺鼠剤を使用するのも、理由がある」と住民の理解を深めていただくことができ、事業の再開につながりました。世界自然遺産保全においては、そこで生活している地域住民がもっとも重要な役割をしめています。地域にとっての世界遺産の価値、保全の必要性、そこでのリスクとベネフィットについて十分な理解と政策への信頼確保が必須です。

世界自然遺産を地域住民の誇り、宝にしていく

研究に際して私が心がけているのはフィールドワークと理論の構築のバランスです。2023年9月には研究科の学生を連れて、奄美大島の宇検村に行きました。村では毎年旧暦8月に8月踊りという伝統的な祭りが催されています。その祭りをどうやって観光資源に活用していけばいいのか、住民や学生、企業の皆さん一緒に考えました。こうしたフィールドワークで得た知見を、他の世界自然遺産地域にどのように活用できるか、理論構築していくのが次の課題です。

小笠原からさらに奄美、知床とフィールドを広げています。世界自然遺産が地域住民、特に子供たちにとって守るべき宝になっていくために何をしていけばいいのか。SDGsの視点も入れながら、地域の皆さんと協働していくことがこれからの大きな研究テーマであり、ライフワークでもあります。

この一冊

『ソロモンの指環 動物行動学入門』
(コンラート・ローレンツ/著 早川書房)

研究者としての基本的なスタンスを学んだ本です。私たちは人間の価値観で動物の行動を解釈しがちですが、動物に寄り添った視点で見ることが、新たな発見につながるのだと気づかされます。

織 朱實

  • 地球環境学研究科地球環境学専攻
    教授

早稲田大学法学部卒業後、東京海上火災保険株式会社に入社。同社退社後、一橋大学法学研究科博士後期課程修了。関東学院大学法学部教授を経て、2015年から現職。2006年から上海大学招聘教授、2006~2010年三井化学株式会社社外取締役、2010年から独立行政法人製品評価技術基盤機構監事を歴任。

地球環境学専攻

※この記事の内容は、2023年9月時点のものです

上智大学 Sophia University