文学部の博多かおる教授は、19世紀のフランス人作家バルザックの作品を研究しています。趣味や娯楽としての読書が広く一般市民に浸透した時代に、100編以上の作品を執筆したバルザック。その卓越した才能と魅力とは?
19世紀のフランス人作家オノレ・ド・バルザック。私が彼の作品を研究するようになったのは、大学3年生のときに訪れた南仏のプラードという町で、たまたま立ち寄った本屋で彼の著書『あら皮』を手に取ったのがきっかけです。寿命と引き換えに願いを叶えるあら皮に翻弄される主人公の欲望と恐怖を鮮やかに描いた物語に、すごい小説を書く人がいるものだと衝撃を受け、帰国後は片っ端から作品を読み漁りました。
借金は母親が肩代わり。呆れるようなエピソードも
バルザックが活動した19世紀前半は、ナポレオンの皇帝即位や王政復古など、フランスの歴史が大きく動いた時代。ついで7月王政期には、商工業で資産を蓄えたブルジョワが台頭し、それまでは貴族の教養や娯楽だった読書が広く一般市民に浸透した時代でもあります。新聞社が購読者獲得のために連載小説を掲載するようになったのもこの頃で、バルザックは初めて新聞小説を書いた作家でもあるのです。
私から見たバルザックは、一言で言えば「常識を超えた人」。執筆活動を始めてからもさまざまな事業で失敗しては借金を抱え、母親や愛人に肩代わりしてもらったとか、派手好きと上流階級への憧れが高じて名前を貴族風に変えてしまったとか、呆れるようなエピソードもあります。生涯で100作以上の小説を書き上げた才能、いきいきとしたセリフに垣間見える表現力、作家の権利保護のために奔走し、文芸家協会を立ち上げた行動力。豪華な装丁の本が好まれた時代に、持ち運びしやすい文庫本を作ろうと試みたそうですから、先見の明もあったのでしょう。そんな多才ぶりと、スマートさとは無縁な生き様のギャップも、バルザックの魅力かもしれません。
言葉の意味をひも解き、老いた名作に命を吹き込む
小説の中には作者自身の意見、言葉だけでなく、その時代の世論や世間話、うわさ話なども取り込まれています。バルザックの小説は19世紀の媒体に書かれたものですから、私たちがそこに書かれた文章の意味を立体的に理解するためには、当時の社会情勢や人々の生活、文化、流行といったことを一つひとつ調べる必要があります。このようにして精密に本を読むことは、文章の意味を多角的に捉え、得られる感動を深めることにもつながります。
例えば、私が先日調べたのは、19世紀の花言葉。花言葉というと「永遠の愛」のような短い言葉をイメージしがちですが、フランスの国立図書館に保存されている19世紀の資料を見ると、革命以前から上流階級の人たちは花の色や組み合わせ、花束に結ぶリボンの結び方を使い分けることで、かなり複雑な文章を表現していたそうです。そういった事情が分かると「愛人に〇〇と〇〇の花をこんなふうに束ねて贈った」というような一文からも、面と向かって言えない思いを花束に託したのだろうとか、花を送りつつ実は気持ちが冷めかけていたのだろうとか、多様な意味合いが見えてきます。
どんな名作であっても、時間とともに内容や言葉遣いは老いるものです。作者の言葉をひも解き、現代の言葉に置き換えて社会に伝えることで、古くなった作品に命を吹き込む。これも、文学研究の意義であり、役割の一つだと思っています。
この一冊
『あら皮』
(バルザック/著 小倉孝誠 /訳 藤原書店)
バルザックが生涯をかけて取り組んだ『人間喜劇』シリーズの一作品。現実社会に鋭く切り込みつつ神秘的なものも探ったバルザックの生命哲学が表れたこの小説が、私の研究者としての原点になりました。
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博多 かおる
- 文学部フランス文学科
教授
- 文学部フランス文学科
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東京大学文学部仏語仏文専修課程卒、パリ第七大学大学院博士課程修了、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。博士(文学)。関西学院大学講師、東京外語大学准教授などを経て、2018年より現職。
- フランス文学科
※この記事の内容は、2022年7月時点のものです