上智大学グローバル教育センター/グローバル・スタディーズ研究科国際協力学専攻の杉浦 未希子教授は、持続可能な環境保全の仕組みを明らかにするため、里山の事例を対象に文書分析および参与観察(*1)を行いました。その結果、信頼関係・実践を通じて示された専門的知識・協働的学習を基盤とする「穏やかな力(gentle power)」が、ガバナンス制度の形成・変化、さらには里山環境の継続的な保全に寄与していることを見出しました。
里山景観は、手つかずの自然によって成り立つものではなく、人間の関わりを通じて形成、維持されてきました。具体的には、農業の実践、それに伴う水田の水管理、周辺環境の季節ごとの手入れなどです。地域で長く行われてきたこれらの営みは、両生類や昆虫の繁殖サイクルの維持やメタンガス排出の抑制などに寄与し、里山の豊かな生態系を下支えしています。環境保全のアプローチは、トップダウン型(行政による規制や管理を中心としたもの)とボトムアップ型(地域住民の自発的な参加に依存するもの)の2種類に大別されますが、それらを統合する仕組みは十分に検討されてきませんでした。
東京都町田市図師小野路における約40年にわたる里山保全の経緯を分析した結果、トップダウン型とボトムアップ型の中間領域で働く「穏やかな力」が、効果的な保全活動を支える有効な枠組みであることが明らかになりました。さらに、「穏やかな力」は、(1)知識統合(実践的な有効性に基づき伝統的生態学的知識を制度化する)、(2)制度変容(既存制度と戦略的に関わりながら、ボトムアップの政策変化を促す)、(3)適応的持続性(高齢化などの環境変化の中で役割を柔軟に変化させながら保全を維持する)という3つの機能を通じて、制度のブリコラージュ(既存制度を状況に応じてその場で組み合わせ、新たな仕組みを構築すること)を可能にするメカニズムとして働くことが示されました。
これらの結果は、コミュニティ主体の保全活動における「穏やかな力」の重要性を示唆しており、行政主導の規制のみに頼らず、地域主体の環境管理を支援する自治体や保全団体が保全に取り組む際に考慮すべき新たな視点を提供します。
本研究成果は、2026年3月4日に国際学術誌「Frontiers in Water」にオンライン掲載されました。
近年、生物多様性の保全や水循環の維持といった生態学的目標と、地域の生活基盤の確保、公平性、そして住民の参画といった社会的要請を同時に達成することの重要性が指摘されています。しかし従来の環境保全のアプローチは、行政による規制や管理を中心としたトップダウン型か、地域住民の自発的な参加に依存するボトムアップ型のいずれかに偏る傾向があり、実効性や長期的な持続性の面で課題が残されてきました。
こうした課題に対し、地域コミュニティと制度的枠組みの協働を重視する地域コミュニティ主体の保全(Community-Based Conservation: CBC)が広く採用されてきました。CBCは、自然保護地域やその周辺地域での純粋な自然保護活動から端を発し、農村地域における自然資源利用を含む、より広範なスケールの保全活動へと進化してきました。現在ではCBCはコミュニティの参画を基盤に、地域で受け継がれてきた伝統的な生態学的知識を保全の実践に統合することによって、保全だけでなく社会的ニーズとの両立を目指す方向性が主流となっています。
しかし、コミュニティ内の多様性への理解不足、信頼醸成の難しさ、多様なステークホルダー間で働く影響力への配慮不足、科学的知見と政策の乖離など、課題は山積しています。また、現行のCBCアプローチは、しばしば政府や組織の外部にある機関によって定められた制度に依存することから、文脈の固有性や人々の臨機応変な実践、主体性を軽視する傾向にあることが指摘されています。そのため、単に地域コミュニティを保全活動に関与させるだけではなく、既存の社会システム・生態系の中で効果的に機能するガバナンス手法を開発することが求められています。
ガバナンスのあり方はパワーダイナミクスに大きく左右されることから、これらの課題解決を目指す上では、ガバナンスに関わる影響力のメカニズムの理解が重要となります。
先行研究から、環境ガバナンスにおける関係性はトップダウン型の規制と自発的な参画の2つに明確に分けられるわけではなく、その間に働くより微妙で複雑なパワーダイナミクスが存在することが示唆されています。そこで本研究では、この中間領域で作用する「穏やかな力(gentle power)」という概念を提案し、「穏やかな力」が環境ガバナンスにおいてどのように機能するか検討しました。
具体的には、東京都町田市図師小野路における約40年にわたる里山保全の経緯に着目し、強制やインセンティブに依存しない形で保全が維持されてきた要因を分析することで、「穏やかな力」の発現メカニズムと有効に機能する条件を導き出すことを目指しました。
本研究では、『「穏やかな力」は、制度的支援と地域の自律性を統合することによって機能する。それにより、効果的な環境保全に寄与する』という作業仮説を立て、文献調査と参与観察を通じてこれを検証しました。
その結果、「穏やかな力」は、地域の主体が既存の制度的資源を即興的に組み合わせ、状況に応じて柔軟に調整し、新たな制度を創造する「制度的ブリコラージュ」のプロセスを可能にするメカニズムとして働くことが示唆されました。具体的には、以下の3つの機能を通じて「穏やかな力」が発現することを明らかにしました。
地域に受け継がれてきた生態学的知識(Traditional Ecological Knowledge: TEK)は、実際の保全活動を通じて有効性が確認され、効果的な管理手法として行政も制度に取り入れていました。ここで重要なのは、形式的な権限や肩書きではなく、実際の保全成果に基づく信頼がベースになっている点です。農家が受け継いできた知見が、実践の有効性を通じて行政やその周囲に影響を与え、地域の知識が単なる慣習を超えた専門的知識として評価されるようになった表れといえます。
地域主体は既存の法制度を戦略的に活用し、税制優遇措置の獲得や委託管理制度の提案などを通じて、行政との交渉を重ねながらボトムアップ型の制度変革を実現していました。この過程は、「穏やかな力」が強制や対立ではなく、保全活動の正当性を基盤とした協働的な再構築を通じて機能することを示しています。
高齢化や環境変化といった課題に対応しつつ、関係する主体の役割を柔軟に調整することで、保全活動は継続されてきました。例えば、農業分野のリーダーは現場で作業する「実践者」から、知識や技術を伝える「指導者」へと役割を変え、市民ボランティアは「学び手」として活動に参加していました。こうした役割の変化は、あらかじめ決められた制度に従うのではなく、状況に応じてブリコラージュ的に適応してきた過程を示しており、「穏やかな力」は上下関係による統率ではなく、主体間の相互適応を通じて発揮されることが示唆されました。
これらの機能は相互に密接に関連しており、「穏やかな力」はTEKの実践・制度的支援・適応的調整が重なり合いながら作用する複合的な影響力として理解されます。
本研究成果を発表した杉浦教授は、「本研究は、行政主導の規制にのみ頼らない地域主体の環境管理を支援する自治体や保全団体にとって選択可能なアプローチのひとつを提示し、また、開発圧力にさらされる地域における持続可能な人間の関与のあり方を広く社会全体に対して問うものです。水田や伝統的景観の消滅に伴い、水・季節・農業の関係を体感で理解する生態学的リテラシーの喪失が懸念される現況を踏まえると、人と自然の関係性を育み続ける重要性を今こそ広く周知していくべきだと感じます」と、コメントしています。
本研究は、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)、独立行政法人国際協力機構(JICA)の地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS, JPMJSA2301)による助成を受けて実施したものです。
(*1)参与観察:研究者が対象となる集団やコミュニティに実際に参加し、その内部から人々の行動や関係、意味づけを観察・記録する調査手法。
Frontiers in Water
How gentle power enables community-based conservation: hydrosocial practices and institutional support in Tokyo’s satoyama
10.3389/frwa.2026.1759412
Mikiko Sugiura
上智大学 グローバル教育センター/グローバル・スタディーズ研究科国際協力学専攻
教授 杉浦 未希子 (sugiura_mikiko@sophia.ac.jp)
上智学院広報グループ (sophiapr-co@sophia.ac.jp)
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「穏やかな力」が導く環境保全の成功