東ティモールのコーヒー栽培から人の豊かさを考える

文化人類学が専門の総合グローバル学部の福武慎太郎教授は、東ティモールにおけるコーヒー栽培を通して、貨幣経済がもたらす影響や変化について研究しています。異文化を知ることで新たな視点を得られるという文化人類学の魅力とは?

私の専門は文化人類学で、おもに東南アジアにおける地域社会を研究しています。現在、メインで研究しているテーマは、「東ティモール民主共和国の高地社会におけるコーヒー栽培と生活様式の変化について」です。栽培したコーヒーを売買することで生計を立てる貨幣経済が浸透することによって、社会がどのように変化していくかを約20年に渡り調査しています。

東ティモールは、ポルトガルの植民地となった後、内戦、インドネシアによる侵攻など、激動の歴史を経て2002年に独立した新しい国です。独立前は、特に山間部では貨幣経済は浸透しておらず、近隣の住民や親族内でモノをあげたりもらったりする贈与交換経済が主流でした。独立後、先進国と同じような貨幣経済が浸透することになったわけですが、それは、人間関係の変化や新たな貧困問題を生みました。

お金が人を貧しくさせる。真の豊かさとは何か?

例えば「喪明けの儀式」。東ティモールでは人が亡くなった後、喪明けのときにスイギュウを捧げて解体し、地域の人に振る舞うという風習があり、親族で分担して提供する100頭くらいのスイギュウを集めなければなりません。亡くなったのが妻の父だった場合、義理の息子である夫が用意するのは2頭ですが、牛は1頭1000ドルします。しかし、コーヒー栽培で得られる年収は平均で500~1000ドルほど。年収を超える負担が大きくのしかかるわけです。結局、借金をして牛を購入するけれど、利子も払えずコーヒー畑を手放さざるを得なくなる。そうした社会問題が顕在化してきたのです。

国際的な支援機関や政府は、そうした儀礼自体が無駄であるという見解を示します。儀礼がなければ貧困に陥ることはないというわけです。確かに貨幣経済が浸透した社会の常識ではそうでしょう。しかし、私は別の見方をしています。「儀礼が人々を貧しくしているのではない。お金が貧しくしているのだ」と。貨幣が持ち込まれる前は、人々は牛を育て、親族同士で助け合いながら生活を成立させていた。そうしたコミュニティが永続していたからです。私たちの常識や先入観で物事を捉えるのではなく、その土地で暮らす人の価値観に基づいて、彼らの視点から見ると、どう見えるのか。どんな意味があるのか。人間の豊かさとは何か。そんなことを考える研究をしています。

文化人類学で培われる、批判的な思考や新たな視点

NGOの国際協力活動の現場で働いた経験をもとに、これまで難民キャンプをはじめとするさまざまな場所で調査・研究を行ってきました。現在取り組んでいるコーヒーにまつわる研究についても、講演したり、本を書いたりすることで一般の方々に伝えていけたらと考えています。身近なコーヒーを通して生産者を知り、世界を知ってほしいのです。

今、社会はいろいろな意味で過渡期にあると思います。政治や経済、国際関係などでさまざまな問題が指摘されていて、新しい制度の構築や設計が求められていますが、そこで必要なのは、社会的な常識を疑う視点や批判的な思考です。そうした力を養うには文化人類学はうってつけ。辺境の地の文化を知ることで得られるローカルな視点は、グローバル・イシューについて考えるときに役立つものだと考えています。

この一冊

『太郎物語(高校編)』
(曽野綾子/著 新潮文庫)

主人公の太郎が勉強や友情に悩みながらも、文化人類学者への道をたくましく進んでいく物語。社会や大人に対する不満でモヤモヤしていた高校生の頃に出会い、文化人類学を学びたいと思わせてくれた思い出の1冊です。

福武 慎太郎

  • 総合グローバル学部総合グローバル学科
    教授

上智大学文学部哲学科卒、同外国語学研究科地域研究専攻博士後期課程満期退学。博士(地域研究)。名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科准教授、上智大学外国語学部准教授などを経て、2016年より現職。

総合グローバル学科

※この記事の内容は、2022年5月時点のものです

上智大学 Sophia University