人生100年時代。長寿は喜ばしいことですが、年齢を重ねると誰もがさまざまな衰えや喪失を経験します。そうした弱さの経験も含めた人間の発達とは――。神学部の武田なほみ教授は人間の生涯にわたる発達を、キリスト教の視点で見つめ直します。
学生時代に授業でライフサイクル論を学んだ際、老年期の発達とは何だろうと考えたことをきっかけに、生涯発達を考えるようになりました。
私たちは何かができるようになることを発達として捉えがちですが、老年期には、それまでできていたことができなくなる経験や、大切な人との別れがあります。
それでも、弱さや悲しみ、傷つきやすさを引き受けながら、より人間としての深みを宿していく人生の先達もいる。その人間の深みの次元を考えたいと思ったのです。
人生の先達に出会って知恵に触れる
私の研究テーマは、「知恵」を人間の特性の一つとしてみる生涯発達心理学と、人間的な考えを超えたしかたで示される神の知恵を語るキリスト教の視点の双方から探求することです。
それは、現代の私たちが考える発達の結実としての「知恵」を考えると同時に、そうした人間的な力とは真逆にすら見える、弱さの中に現れ出る価値や、ただ与えられることによってのみ得られる知恵を考えることでもあります。
「老人の知恵」と言われるように、知恵と老年期はよく結びつけられます。そこで人々は何を知恵と認識しているのかを調査してみると、豊かな知識や経験を持つだけでなく、その知を自分のためではなく人々のために用いる開かれたあり方や、心身一如の生き様、長期的視野に立った判断、自身や人間の限界をわきまえた謙虚さや人間愛などが挙がってきます。
老いてさまざまな力を失ってなお、内面的にはより他者に向かって開かれ、存在そのもので人間のよさや愛を示してくれる人生の先達に出会うときに、私たちはしばしば「知恵」を感じるようです。
人間はみな、存在のより深いところで愛や善に心惹かれる
キリスト教において神は天上から見下ろす存在ではなく、人間の傍らに自ら降りて来て関わり、すべてを与え尽くす存在です。イエス・キリストの生き方がまさにそうなのですが、自ら弱さや苦難を担い、誰かを生かすために自身を差し出していく生き方です。それは「より効率的に多くを得ることがよい」と考える視点とは別ものです。聖書の世界の人々にとっても、イエスの生き方は不思議だったと思います。でも、その出来事の根底にある愛にうたれた人たちは、それを「神の知恵」と表現しました。
聖書は、信仰の書であるとともに人間性探求の古典といえる書物です。聖書から人間の姿を読み解いていくこと、そして信仰を生きる人々の語りに丁寧に耳を傾けることを通して、現代の私たちにとっての「知恵」理解を深め、次につないでいくことが私のライフワークかなと考えています。
人間性探求という点でもう一つ、人間はその存在の最も深いところで、善なるものや価値あるもの、そして愛に惹かれてやまないものです。だからこそ、その存在の深みで他者と共鳴する経験をするし、善や愛が損なわれている現実を前にするときには深い痛みを覚え、共に生きるために動き出す。
人間の尊厳を大切にするとは、この深みの次元を大切にすることだと思うのです。この次元に立ち戻りながら、共に生きる人間の歩みを見つめていきたいと考えています。
この一冊
『識られざる神』
(V・E・フランクル/著 佐野利勝・木村敏/訳 みすず書房)
フランクルは人間の本質を追求する精神医学者です。人はその実存の深みに響く良心の呼びかけに自由をもって応えることに開かれた人格であると述べるこの本に出会って、「人間が人間であることの意味」を考える視点を与えられました。
-
武田 なほみ
- 神学部神学科
教授
- 神学部神学科
-
慶応義塾大学文学部人間関係学科心理学専攻卒、シアトル大学大学院教育学研究科修士課程を経てアイダホ大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。上智大学大学院神学研究科博士前期課程、STL課程修了。2016年より現職。
- 神学科
※この記事の内容は、2023年10月時点のものです