生物科学と数学を融合し、細胞の増殖・分化のメカニズムを解き明かす

ショウジョウバエを研究材料に、生物の発生メカニズムの解明に挑む理工学部の八杉徹雄准教授。近年では、数理科学の専門家との共同研究も積極的に進めています。数学的なアプローチを取り入れることで、従来の生命科学が抱えていた課題を解決できると語ります。

多細胞生物の体は、一個の受精卵が細胞分裂による増殖を繰り返し、さまざまな機能を有した細胞へと分化することで形づくられます。中でも私が関心を寄せているのは、脳神経系において、神経前駆細胞から多種多様な神経細胞が生み出されるプロセスです。神経前駆細胞の増殖と分化は、どのような分子のメカニズムによって制御されているのか。それを解明するために、私たちの研究室ではショウジョウバエを研究材料として用います。

ショウジョウバエの神経細胞の数は、ヒトと比べればごくわずかですが、細胞の増殖・分化を制御する分子的メカニズムには、類似点が少なくありません。遺伝子の組み換えが容易に行えることもメリットです。この研究によって得られた知見が、ヒトやマウスなどの研究に応用される可能性もあるでしょう。

実験で明らかにした生命現象を数学としても表現

これまで私は、ショウジョウバエの脳神経系において、上皮細胞から神経幹細胞への分化はあたかも波が伝播するように方向性を持って進んでいくことを、実験を通じて明らかにしてきました。さらにこの「分化の波」と名付けた現象について数理科学の専門家の協力のもと、数学的な方程式として記述する数理モデルを構築。実験と数理モデルによるシミュレーションを比較することで、モデルの正しさを証明しました。

こうした数学的アプローチには大きなメリットがあります。たとえば従来の生命科学の実験では、ある遺伝子の機能を半分にするというような条件を実現することは困難でした。ある遺伝子を機能させるか、喪失させるか、0か100しかなかったのです。ところが数理モデルでは、遺伝子の機能をパラメーターとして自由に設定できる。すると、思わぬ結果がシミュレートされることがあります。

数理モデルをヒントに、遺伝子の新たな役割を発見

「分化の波」の数理モデルにおいては、ある遺伝子の機能を低下させていくと分化がランダムに発生する、というシミュレーションが得られました。ショウジョウバエの場合、ある程度までは遺伝子の機能を部分的に喪失させられるため、シミュレーションを再現するかたちで生体での実験を行ったところ、やはり同様の現象を確認することができました。この結果から、いくつかの遺伝子が協調し「分化の波」を制御している、という新事実を導くことができたのです。このように数理モデルが提示する仮説を有効に活用すれば、これまで以上のスピード感で研究を進めることができます。

もちろん数理モデルの構築には、ベースとなる実験データが必要不可欠です。これまで私も毎日のように顕微鏡を覗き込んでは、何千何万というショウジョウバエとにらめっこをしてきました。その地味な作業を大変だと思うのか、宝探しのように楽しめるのか。私は後者のタイプで、コツコツと実験を重ねながら、ときには他分野の研究者とも積極的にコラボレーションする。そんなスタイルでさらに研究を深めていきたいと思っています。

この一冊

『カラー版 細胞紳士録』
(藤田恒夫、牛木辰男/著 岩波書店)

「千手観音ならぬ 脳のニューロン」といったユニークなキャッチコピーと、美しいカラー図版を用いて、多種多様な細胞の役割を紹介した一冊。内容には少し難しい部分もあるのですが、生命科学に興味のある人はぜひ一度チャレンジしてみてください。

八杉 徹雄

  • 理工学部物質生命理工学科 
    准教授

東京大学理学部卒、同大学院理学系研究科博士課程修了。博士(理学)。東京大学分子細胞生物学研究所助教、オーストリア分子生物工学研究所研究員、理化学研究所研究員、金沢大学新学術創成研究所助教、同准教授を経て、2023年より現職。

物質生命理工学科

※この記事の内容は、2023年5月時点のものです

上智大学 Sophia University