カントの言葉が示す教育の本質。哲学の視点が授業に深みをもたらす

そもそも教育とは一体何か。その答えを探す学問が教育哲学だと、総合人間学部准教授の鈴木宏先生は語ります。学門としての真価が発揮されるのは、例えば小中学校の道徳の授業。哲学の視点が授業に及ぼす影響とは?

誰もが人生の中で幾度となく経験する「教育」。しかしそもそも教育とは一体何でしょうか? 一口に教育と言っても、学校教育や家庭で親が子に行う教育、企業が社員に行う教育など、その定義は一元的ではありません。この一見簡単そうで実は難しい問いへの答えを、哲学の知識を使って導くのが教育哲学です。私はそのなかでも、主に18世紀ドイツの哲学者カントの思想を通して現代の教育を考える研究に取り組んでいます。

子の心を育む道徳の授業。言葉の正確な解釈も大切

教育哲学が現代社会で担う役割の一つは、学校教育に哲学という新たな視点を提供し、カリキュラム作りや授業のベースになる理念を示すことです。私が研究を通じて最も多く関わっているのは、小中学校の道徳の授業。道徳は小学校では2018年から、中学校では2019年から正式な教科として指導要領に組み込まれ、教材に検定教科書を用いることや、成績評価の対象となることが義務付けられました。

道徳には専門の免許が存在しないため、授業はクラス担任が担当します。クラス担任の教員にとって道徳は専門外であることもありますが、授業は文部科学省の方針に沿って行う必要があります。数年前に行った教員への聞き取り調査では「自分なりに教科書の内容を解釈しているが不安もある」との声も聞かれました。

また、以前参加した研修会では、道徳の授業で使う「正しさ」と「善さ」という言葉の使い分けが難しいとの意見が出たこともあります。通常の会話ではあまり区別されずに扱われることもある二つの言葉ですが、哲学的には違った意味合いを持つ言葉です。「正しさ」は語源に「偏りがない」といった意味があり、不公平ではない状態、公正な状態を表します。一方で「善さ」は生活の中で習慣的に獲得されるものであり、時代やその土地の文化、歴史的背景によっても異なるとされます。つまり、時と場合によって「善さ」は「正義」のことを表すこともあったり、そうでなかったりするのです。言葉の正しい使い方を知ることは、子どもたちの心を育む道徳の授業ではとても大切なことですし、教員の自信にもつながります。抽象的な概念を正しく理解する手助けになるという意味でも、教育哲学は道徳という教科にとって非常に重要な学問と言えます。

教育の目的は人を育てること。目的達成のための手段にしない

近年は教育目標の中に「時代に求められる人材の育成」といったフレーズをよく見かけます。そのような視点は社会の発展のためには必要ですが、教育の本質ではありません。「自分や他人を『手段』として扱わず、『目的』として扱わなければならない」というカントの言葉にあるように、教育は目的達成の手段として人を育てるのではなく、人を育てること自体を目的とするべきです。

研究者になった当初、私が掲げていた目標は、教育現場の常識を一度疑ってみて、哲学の視点から新たなものの見方を築き上げることでした。この目標をさらに具体的な形にしていくために、次に目指すのは、これまでの研究で自分が得た視点をより多く教育現場に還元していくことです。学びに対する考え方が多様化した今こそ、教育の本質を問う教育哲学の発想が求められていると私は思っています。

この一冊

道徳形而学上原論』
(カント/著 篠田英雄/訳 岩波文庫)

「道徳は、知識の有無が重要な科目ではないはず。それを授業で『教える』とは、どういうことなのか」という疑問に答えをくれた本。当時大学生だった私が、教育哲学に興味を持つきっかけにもなりました。

鈴木 宏

  • 総合人間科学部教育学科
    准教授

上智大学文学部教育学科卒、同大学院総合人間科学研究科博士後期課程満期退学。博士(教育学)。山口大学教育学部講師などを経て、2020年より現職。

教育学科

※この記事の内容は、2022年9月時点のものです

上智大学 Sophia University