血液中の「若返り分子」に注目。健康寿命の延伸を目指して

理工学部の新倉貴子教授は、脳の神経細胞死を抑制する血液中の分子ヒューマニンの研究を行っています。健康寿命への効果も期待されるヒューマニンの持つ働きと今後の展望とは?

世界の多くの地域において高齢者人口は増加しており、高齢者が健康で高いQOL(Quality of Life)を維持した生活を送れることは、社会的課題の一つです。2050年には日本だけで1000万人に達すると推定される認知症患者数は、高齢化に伴い世界的にも増加しています。特にその約7割を占めるアルツハイマー型認知症では、老化が重要なリスク因子です。

私がリーダーを務めていた研究チームが2001年に発見したヒューマニンは、アルツハイマー型認知症の治療薬探索の過程で見出されました。近年ではそれ以上の機能を持つ分子として、日本以外の国々でも研究が進められている物質です。

健康寿命が伸びる?ヒューマニンの抗老化作用に期待

ヒューマニンは生物の血液中に存在するポリペプチドの一種で、神経細胞の死滅を抑制する働きをします。マウスを使った実験では、ヒューマニンがアルツハイマー型認知症の進行を遅らせることが確認されています。また、私たちは最近、ヒューマニンが神経細胞の働きそのものを高めることを見出しています。さらには人間の血液中のヒューマニンは加齢とともに減少することや、ヒューマニンは神経細胞だけでなく筋細胞など多くの種類の細胞にも作用することが、これまでの研究で明らかになりました。

私が現在検証に取り組んでいるのは、ヒューマニンの抗老化作用、いわゆる「若返り分子」としての働きです。やや乱暴な仮説ではありますが、もしヒューマニンの抗老化作用によって人体の老化そのものを遅らせることができれば、認知症の発症だけでなく、加齢による物忘れや筋力低下なども抑制でき、人の健康寿命を伸ばせるのではないでしょうか。ヒューマニンについては、アルツハイマー型認知症のリスク要因である糖尿病を改善させる効果があるとの報告もあり、将来的には加齢に伴って起こる認知症と糖尿病の両方を治療する方法もわかってくるかもしれません。

「老化」とは何かを理解し、「抗老化」を探る

認知症などの疾患には、身体の老化が深く関わっていると考えられています。私たちの身体は細胞の集合体であり、老齢者の身体には老化細胞が蓄積していることがわかっています。個々の細胞の老化の仕組みや、細胞の老化と身体全体の老化との関連性など、「抗老化」を考えるには老化そのものの理解も不可欠です。

認知症や老化の研究を医学部ではなく理工学部で行うことには、人間の身体の仕組みを基礎科学の視点から分析するという意義があります。そもそも病気と健康は、コインの表と裏のような関係。病気の仕組みを科学的に分析すれば、健康とはどういう状態なのかも自ずと理解できると考えています。今の私にできるのは、目の前にある研究課題に全身全霊で取り組むこと。日々の小さな積み重ねとそこから生まれるセレンディピティ、そして何よりヒューマニンという物質の持つ大きな可能性がいつか多くの人々の希望につながると、私は信じています。

この一冊

『生命の意味論』
(多田 富雄/著 新潮社)

生物について論理的かつシステマティックに解説された本書を読めば、生物=暗記科目という概念も覆るはず。生き物は実は非常に精緻で、完成度の高い仕組みによって生かされていることがよく分かります。

新倉 貴子

  • 理工学部情報理工学科
    教授

北海道大学獣医学部獣医学科卒、同獣医学研究科博士前期課程修了。博士(薬学)。慶應義塾大学医学部助手、Georgetown University Research Assistant Professor, Simon Fraser University Assistant Professor, 上智大学理工学部准教授などを経て、2019年より現職。

情報理工学科

※この記事の内容は、2022年8月時点のものです

上智大学 Sophia University