イスラームのもう一つの顔 個性豊かな聖者たちへの崇敬

人類学の視点でイスラームを研究する、総合グローバル学部の赤堀雅幸教授。唯一神(アッラー)を信じ、日々多くの決まりごとを勤勉に守るイメージが強いムスリム(イスラーム教徒)だが、そんな彼らの「聖者崇敬」について語ります。

アッラーが備える99の偉大な特質を、一つずつ特殊能力として宿した99人のヒーロー・ヒロインたちが悪に立ち向かう——。そんな異色のコミック&アニメ”The 99”が、10年ほど前に欧米などで話題になりました。私はそこに、ムスリムたちの伝統的な聖者崇敬に通じるものを感じます。

矛盾や困難に満ちた現実を生きるムスリムたちは、唯一神を信仰しつつも、聖者たちや彼らにゆかりの品、墓や衣服や持ち物が特別な力を持つと信じてきました。そうした聖者崇敬や聖遺物信仰は、御利益を求めて神仏に祈る多くの日本人にはむしろ親しみのある信仰のあり方です。

現代の若者の間で聖者崇敬が復権するかも

キリスト教の聖人たちの多くは聖職者です。イスラームでは、聖者は偉大な神秘家・預言者ムハンマドの子孫・学者・政治家・軍人、さらには得体の知れない者まで含めてさまざまで、その加護も、治病・子授け・学業成就・豊作などと多彩です。女性の聖者もそれなりにいます。そしてキリスト教とは異なり、聖者の多くが子孫を残し、その子孫や弟子が聖者になったり、地域の有力者になったりします。”The 99”のヒットは、数々の奇蹟譚に彩られた、かつての聖者崇敬のありようが、現代の若い世代の感性に合う形で再生しうることを示しているのかもしれません。

相互理解は「違う」より「同じ」に目を向けることから

ただ、アニメ版”The 99”のアメリカでのTV放映は、ムスリム、非ムスリム双方からの抵抗に遭い中止されてしまいました。そうした抵抗が、極端な原点回帰の主張に至るといわゆる「原理主義」と呼ばれる運動につながります。この用語は、彼らがイスラームの本来あるべき形に大変にこだわることから用いられてきました。

しかし、彼らがイスラームの「原理」とみなすものは、あくまで信仰の基盤である啓典(クルアーン)や伝承(ハディース)を、彼らなりに解釈したものにすぎず、確定した正統とも本質ともいえません。そして実は、現代ではインターネットの発達もあって「何が正しいイスラームか」については国境を越えた活発な議論が交わされている最中で原理主義者がムスリムの典型というわけではまったくありません。

人類は多くの特質を共有する一方で、環境や歴史などさまざまな要因から生じた差異を身につけて多種多様な暮らしぶりを発達させてきました。その普遍性と多様性が個人について、あるいは部族・民族・国民といった重層的な集団について、またイスラームのような宗教について、どう組み上がっているかを調査し、そこからヒトについて有効な理解を導き出すのが、私の専門である人類学です。その際、目につきやすい違いよりも、その下に横たわるはるかに膨大なのに目立たない共通性に常に軸足を置くことが重要だと私は考えています。

受け入れがたいイスラーム原理主義だけに目を奪われるのではなく、共感できる99人の戦士たちやその原型のような聖者たちにも目を向ける。そんな意識の変化を促すような、イスラームの別の顔が見えてくる研究を通して、日本人とイスラームの距離を縮めることに貢献していきたいですね。

この一冊

『悲しき熱帯』
(上下、レヴィ・ストロース/著 川田順造/訳 中央公論新社)

20世紀フランスを代表する知性、レヴィ=ストロースのエッセイです。人類学に目覚めた大学1年次に読みました。アマゾン流域の先住民を訪ね歩いて綴られた文章は読みやすく、人類学への美しい道しるべです(名訳)。

赤堀 雅幸

  • 総合グローバル学部総合グローバル学科
    教授 

東京大学教養学部教養学科卒業、同大学大学院社会学研究科文化人類学専門課程修士課程修了。エジプト留学を経て、93年に同大学大学院総合文化研究科満期退学、社会学修士。専修大学法学部講師、上智大学外国語学部講師、准教授、教授を経て、2014年より現職。

総合グローバル学科

※この記事の内容は、2022年8月時点のものです

上智大学 Sophia University