明治時代の文学熱がどのように生まれたのかを作家の周囲から紐解く

日本近代文学のうち明治時代の文学史を研究している文学部の木村洋准教授。政論家の徳富蘇峰など、文学者に大きな影響を与えた人物が担った役割や、文学史を考えることの意味について語っています。

私の専門は日本近代文学で、現在は明治期の文学史の研究をしています。この時代に二葉亭四迷や森鷗外や樋口一葉など多くの小説家が活躍しましたが、私の研究対象は作家だけではなく、政論家の徳富蘇峰や志賀重昴(しげたか)、キリスト教思想家の内村鑑三など、作家に影響を与えた人たちも含みます。

実は明治の半ば頃まで、一般的な小説は低級な読み物として蔑まれていました。唯一、政治小説だけは知識人にも読まれていました。幕末の混乱を経て、自由民権運動などの政治運動が過熱していた時代だったことがその背景にあり、知識人の関心事も政治でした。そのような中で、徳富蘇峰は1887年に総合雑誌の先駆けとなる「国民之友」を発行します。森鷗外の「舞姫」をはじめ、新派の小説を次々と掲載し、これまでの状況に風穴をあけました。その結果、小説は「知識人の読むべき、高級な文化」という認識に変わっていったのです。

平塚らいてうも明治の文学から影響を受けていた

徳富蘇峰は文学評論も積極的に書き、思想問題や宗教問題なども論じました。若者たちを中心に、文学は面白い、書くことが世の中に大きな影響を与える、と考える人が増え、文学熱がどんどん高まっていったのです。政治青年だった国木田独歩も徳富蘇峰たちから感化を受けて、文学の道を志しました。他にも多くの作家が同じような軌跡をたどっていることから、こうした事実を探るために当時の資料を掘り起こしています。

扱う資料は文学作品だけでなく、新聞や雑誌なども含みます。文学熱は政治にも影響を与えており、政治家や活動家の話が載っている資料も調査します。例えば平塚らいてうは、大正から昭和にかけて女性の権利獲得に奔走した活動家ですが、明治期の文学から影響を受けていたことを複数の資料から読み取ることができます。

文学史を知ることが、心の歴史を知ることにつながる

研究では資料をひたすら読んだり複写したり、気になる文章を書き抜いたりという作業が中心で、ある意味、単調で退屈ですが、あるとき目の覚めるような事実を発見できることがある。その瞬間、「今、このことを知っているのは世界で自分だけだ」とうれしくなります。また、そうした発見が別の発見と次々に結びついて、「より明快な言葉で現象を説明できる」と感じたときも、地道に作業に取り組んできてよかったと思いますね。

日本近代文学の研究では一人の作家や作品に注目するものが主流です。文学史を考える私の研究はそうした意味で異質であり専門家が少ない。だからこそ、大事に続けていきたいと思います。文学は政治や思想、美術や宗教などさまざまな分野に影響を与えています。文学史を知ることは私たちの心の歴史を知ることにもつながる。だからこそ、他の専門分野の人たちにも論文を読んでほしいと思っていますし、そのためにも多くの人に伝わる研究内容にすることを大切にしています。

今後取り組みたい論点は「告白」です。大正時代の私小説を論じてみたいと考えています。私小説は作家自身を主人公にして、作家の経験や心境を書いたものです。私小説を非社会的な表現と批判する人もいますが、旧道徳に戦いを仕掛けるような物騒な私小説も少なくありません。この点を探り、新たな発見ができればと思います。

この一冊

『武蔵野』
(国木田独歩/著 新潮文庫)

国木田独歩の珠玉の短編が収められている一冊。作品は従来型の詩心を刷新しようとする意気込みにあふれています。大学3年生のときにこの本を読んで胸打たれました。独歩の作品を誰よりも理解したいという思いから、私の研究は始まりました。

木村 洋

  • 文学部国文学科
    准教授

神戸大学文学部人文学科卒、同大学院人文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。熊本県立大学文学部日本語日本文学科准教授などを経て、2018年より現職。

国文学科

※この記事の内容は、2023年11月時点のものです

上智大学 Sophia University