上智大学生が植えた土手の桜

眞田濠土手は、中央線の車窓からも楽しめる千代田区有数の桜スポットです。大きく枝を伸ばした桜は、長年にわたり上智大学生を見守ってきました。実はこの桜、上智大学生が植えた桜だということを知っていますか?

1.卒業記念に桜の植樹

眞田濠土手の桜 (2023年4月5日撮影) 

春になると四ッ谷駅からホテルニューオータニまでの眞田濠沿いのソフィア通りには桜の花を求めて数多くの花見客が訪れます。コロナ感染拡大前には、朝から土手にブルーシートを敷いて、夜桜見物の場所取りをしている人もいました。今でこそ千代田区の桜スポットになっていますが、戦前の眞田濠土手は、クロマツだけの吹きさらしで、大学から先の土手は背の高いカヤが生い茂っていました。その土手に最初に桜の木を植えたのは、1959年当時上智大学外国語学部英語学科の4年生だった佐竹章夫氏です。

空手部主将として部を学内最多人数の運動部に育て上げた佐竹氏は、尊敬できる先輩に出会い、充実した大学生活を送っていました。卒業が近づくにつれ、卒業記念に母校に何かを残したいという思いは大きくなりました。そこで思いついたのが桜の記念植樹です。

1950年頃の眞田濠土手*

佐竹氏によると、土手沿いの道は1964年にホテルニューオータニが建設されるまでは人通りも少なく、暗くて殺風景な所だったそうです。そこをにぎやかな場所にして、いつか桜の下で花見酒ができたら楽しいだろうとの思いもあり植樹を思いついたとのこと。

植樹のために、まず土手を管理する千代田区役所に行き、許可を取りました。苗木は空手部員の数と同じ60本と決めましたが、一番の問題は苗木を買うための資金づくりでした。仕送りは底をついていたので、衣服を質に入れてお金を工面しました。

土手の中腹に見える成長中の桜、左側は建設中の3号館*(1962年2月2日) 

1959年11月のある日曜日、新宿南口の花屋で、一本30円の苗を60本購入しました。高さ約1メートル、太さは小指ほどのソメイヨシノの苗木でした。苗木にお金を使ってしまい電車賃がなくなったので、空手部の後輩5-6人と重い苗木を抱えたり、肩に担いだりして大学まで歩いて持ち帰りました。そして大学でシャベルを借り、聖イグナチオ教会から、現在のホテルニューオータニ手前の土手の端まで、等間隔に、そして道行く人に枝を折られないように考えて、土手の中腹に植えました。

佐竹氏は卒業後も、時々土手を訪れ苗の成長を見届けました。折られたり、引き抜かれたりした苗が目立った時には、仕事帰り暗い中、成長した一本一本の苗に「折らないで」という札をつけたこともありました。

その後、東京オリンピックを控えた1964年3月には土手沿いの老舗料亭・福田家の福田彰氏が、御母堂様の13回忌に千代田区に苗を100本寄贈、植樹しました。合計160本の苗は成長し、眞田濠の桜は紀尾井坂から飯田橋につづく2.2キロ約330本の桜という全国的に見ても有数規模の桜並木の一部を形成することとなりました。

2.次世代へのリレー

現在、眞田濠にはソメイヨシノを中心とする桜が植えられていますが、多くは樹齢50年以上になります。老齢化、環境の変化による病害虫の発生により、弱っている木も増加しています。千鳥ヶ淵などの桜の名所を有する千代田区は、2004年桜を守り次世代に引き継ぐため、基金を設立してサポーターを募り、老齢化する桜の保護と再生に努める「区の花さくら再生計画」を策定し活動を開始しました。

2013年に植えられた苗木「かおる」(2023年、正門横)

眞田濠の桜もその一環として樹木医による調査・保護が行われるようになりました。上智大学でも桜についての保護活動セミナーや文化セミナーを開催し、現在も参加者を募って調査に協力しています。 2013年には創立100周年記念事業の一つとして、苗木3本を大学構内へ移植しました。この苗木は、ソフィア会から寄贈していただいたもので、穂木を採取し、接ぎ木して1メートルほどの苗木に育てたものです。それぞれ「ひびき」、「かおる」、「いぶき」という名前がついています。

植樹記念の石碑(2023年、眞田濠土手) 

この桜の若木を構内で見守り育て、ゆくゆくは土手に植え戻すことができればと思っています。再び土手に根付き、花開き、人々にエールを送ってくれることでしょう。佐竹氏らが桜にこめた母校への思いは、次世代に引き継がれています。

*印の写真、資料はソフィア・アーカイブズ所蔵

上智大学 Sophia University