歴史の教科書に出てくる聖フランシスコ・ザビエル。世界史でも日本史でも、この名前はなじみ深いものです。なんとそのザビエルが「日本のミヤコに大学を」と希望してできた大学が上智大学です。そのザビエルをお祝いする日があります。どのような日なのでしょうか?
聖フランシスコ・ザビエルと上智大学
聖フランシスコ・ザビエルは、1549 年に日本にキリスト教を布教するために来日しました。そのことは多くの人が知っている事実です。しかし、日本の大学設立を念願して来日していたことは、ほとんど知られていません。鹿児島に上陸したザビエルは、日本人が聡明で好奇心の旺盛な、知的欲求の高い国民であることに眼を見張り、できれば「日本のミヤコに大学を」と希望しました。しかし当時の日本は戦国時代で、時の将軍に会うことができず、失意のうちに2 年3ヶ月の日本滞在で去っていきます。 そして1552 年 12 月 3 日に中国本土を前に上川(サンシャン)島で死去しました。しかし、ザビエルの蒔いた種は、長い禁教の歴史を経て大正時代になってようやく実を結びます。ザビエルと同じイエズス会員で日本での大学設立を託された3人のイエズス会員、ヨゼフ・ダールマン(1861-1930)、アンリ・ブシェー(1857-1926)、ジェームズ・ロックリフ(1852-1926)や初代学長ヘルマン・ホフマン神父(在位:1913-1937年)の尽力で、上智大学が1913 年に設立されます。ザビエルの想いがかなった瞬間です。しかし、設立当初はザビエルの命日を大学の祝日とした記録はありません。12 月 3 日が大学の祝日となったのはいつなのでしょうか。
ザビエル祭とザビエル・ウィーク
2001年度のザビエル・ウィーク実行委員会(カトリック学生の会)の何人かの委員が、元上智学院理事長のクラウス・ルーメル神父(在位:1958-1965 1987-1992)聞き取りをした記録が残されています。それによると、ザビエル祭は 1953 年、当時の学生部長フランツ・ボッシュ神父(1910-1958)の発案で始まったとされています。12 月 3 日の命日を「祈りの日にしよう」ということで、カトリック研究会(カトリック学生の会の前身)の主催でクルトゥルハイム聖堂にて 1日黙想を行ったと記録されています。その後1961 年にカトリック学生の会常任委員会にてカトリックの精神を一般学生にも浸透させることを目的に「ザビエル週間(ザビエル・ウィーク)」を行いたいと発議し、検討がなされています。残念ながら、実施の有無及び実施内容についての記録はありません。1965年には、ザビエルの祝日の12月3日が休講となることが上智新聞に掲載されています。その後12年を経て正式に、1977年に学則で大学の祝日として「聖ザビエルの祝日」と明記されました。
ザビエル・ウィークを企画してきたのは、主に上智大学カトリック学生の会です。最初の頃は、「ザビエルと日本人とのふれあい」「制度としての法王庁」などをテーマに講演会を行っていました。1978 年はイエズス会士日本再渡来70周年にあたり、大規模なミサと祝賀会を実施、その後は遠藤周作原作の映画「沈黙」の上映会、聖歌隊によるオルガン・メディテーションなどが実施されたこともあります。「ザビエル・ウィーク」は、「他者のために生きる」というカトリックの精神をカトリック以外の学生と共有し、上智大学の建学の精神を再確認する機会なのです。
1982年に第8代学長柳瀬睦男神父(在位:1981-1984年)も、ザビエル祭パンフレットに次のような言葉を寄せています。「上智大学は、キリスト教的ヒューマニズムの教育理念を基盤にしています。これはザビエルの建学理想としているものです。私たち上智ファミリーは、ザビエルの精神を思い起こし、人生の価値、 人生の目的とは何であるかを、いつも問いなおすことが大切であると思います。このザビエル祭にあたって、私たちは、上智の建学の精神にたちもどり、心を新たにするとともに、全世界の物的、精神的に恵まれない人たちのためにすすんで奉仕しなければならないと思います。」
2020年、2021年は新型コロナウィルス感染拡大防止のため各種イベントはオンラインで開催されました。人との接触が制限される中で、他者のためにできることについて再確認する時なのかもしれません。
*印の写真はソフィア・アーカイブズ所蔵