上智大学では毎年「先哲祭」という行事が行われるために授業はお休みになります。「先哲」という言葉を聞いたことはありますか?日常生活では、あまり耳にしない言葉かもしれませんね。この行事はどのようなものなのでしょうか?どのような目的で、いつから始まったのでしょうか?
1.先哲祭とは
カトリック教会では、11月2日は「死者の日」と呼ばれています。お墓に飾り付けをして死者を記念したり、祭壇を作って故人の好きなものを飾ったり、ガイコツを並べて祀ったりなど国により死者の日の祝い方は様々ですが、共通しているのは死者に思いをはせ、死者の魂が安らかに憩うために祈り、それにより生きている者と死者とのつながりを感じることなのではないでしょうか。日本の「お盆」に近いイメージですね。
こうした死者のための祈りは、どこの国でも、またほとんどすべての宗教に同じような風習が見られると思います。日本カトリック司教協議会では『カトリック教会の諸宗教対話の手引き』で「キリスト教における死者の記念と尊厳は、死者のために神に祈ることが中心になっています。祈りは、自分の身内、親類、その他関係のあった人たちのために捧げるのは当然ですが、この世で私たちと縁のなかったすべての死者のために祈ることも大切です。(中略)教会はこのような精神のもとに、それぞれの国の習慣を取り入れ、死者の記念を行ってきました。(中略)したがって、日本でも同じ精神に基づいて日本の伝統を適切に取り入れて『死者の記念』を実践したいものです」と述べています。こうしたカトリックの「死者の日」にあわせて、上智大学では、「先哲祭」が行われてきました。
2.先哲祭の始まり
では、先哲祭はいつ頃から始まったのでしょうか。1937年1月発行の『ソフイア會報』3号(※1)に、「先哲祭」についての記述があります。1935年6月23日、上智大学の設立に尽力したヨゼフ・ダールマン神父(1861-1930)(※2)の帰天5周年にあたる日に教職員、文学部在学生、卒業生が、東京都府中市のカトリック墓地に詣でようという案が出て、皆でお墓詣りをしたことが報告されています。同時にマーク・マックニール神父(1874-1934)、水野繁太郎教授(1868-1933)などのありし日を偲んだとも記載されています。そして、これを機に上智大学の発展に尽力した人たちを偲ぶ式を毎年やろうという案が浮上し、同年11月2日に1号館講堂(当時)に教職員、学生が一堂に会して大学主催の「先哲祭」が行われました。これが第1回目の「先哲祭」です。第1回目は亡くなった先生のご家族が参加され、学長他教員の講演も行われました。また、式に引き続き在校生と卒業生参加の会食もソフィア会主催で行われ、上智の思い出を共有し、盛会だったようです。
3.先哲祭ミサへ
その後、太平洋戦争によって中断を余儀なくされましたが、戦後1950年に復活しました。そのころには、聖イグナチオ教会の聖堂でミサを行うこともありました。
1970年頃には、先哲祭は、ミサ、行進(ミサの場所からホフマン師の胸像まで)、コンサート・バンドが演奏する中でホフマン師胸像への献花、校歌斉唱と多様なプログラムが含まれる行事となりました。大学教職員だけではなく、学生も「カトリック学生の会」を中心に、「ソフィア祭実行委員会」「上智聖歌隊」などの合唱サークルの協力もありました。現在は、ミサを中心に記念行事として続いています。
2024年も11月1日の創立記念日に創立記念を祝い、先哲を偲び感謝するミサが行われました。共同祈願では教職員の代表、学生の代表などが、日頃の感謝と伝統を引き継ぎながら、互いに対話をし、新しい発展と社会へ貢献できるよう祈りました。上智大学において「先哲祭」とは、亡くなった方のために祈るだけではなく、大学を創設するための礎となられた数多くの先人たちの努力に感謝し、未来について考える機会なのかもしれません。
(※1)「ソフイア會報」とは、卒業生の親睦団体であるソフィア會が、会員相互の連絡や母校の様子を伝えるために発行していた会報
(※2) ヨゼフ・ダールマン神父は、ピオ10世に日本にカトリックの大学を設立することを進言し、設立のために最初に派遣された3人の神父のうちの一人。1930年6月23日帰天。府中のカトリックの墓地に埋葬された最初のイエズス会神父
※「先人たちの努力を想う」はWebで知る“SOPHIA” No.17先哲祭をリライトしたものです。