Monumenta Nipponicaを知っていますか?

日本の思想・文化、そして歴史などについて、日本から世界に向けて英語で発信している雑誌Monumenta Nipponica(モニュメンタ・ニポニカ)。今回は、戦前に上智大学が刊行を開始したこの雑誌について紹介します。

1.日本人と西洋人が思想や研究成果を分かち合う場に

「多言語による季刊誌発刊についての企画」と題されたドイツ語の覚書(1936年頃)*

創刊号を開いてみると、巻頭言“Aims and Objectives.”(「本誌の目標と企図」)には、東アジア、とりわけ日本の伝統の本質と特色をアメリカやヨーロッパに伝えること、誌面を介して世界各国の東アジア研究者をつなぐことを目的とし、東西世界の過去・現在の関係や、1550年から1650年にかけての、いわゆる“Christian century”に注視することを特色とする旨が記されています(※1)。

クラウス初代編集長*

こうした構想は発刊前から温められてきたようです。初代編集長となるヨハネス・B. クラウス神父(1892-1946、在任:1938-1943)によるものとされる、多言語季刊誌の企画に関する覚書をみると、雑誌名がMonumenta Nipponicaに決まる以前から、東アジア・日本の文化の紹介を雑誌の全体像とし、東アジアに関する人文科学について取り扱い、掲載論考は複数のヨーロッパ言語で書かれ、出版元を上智大学とするなどといった考えが示されています。

当時、クラウス神父は学内で経済学を講じていましたが、専門分野のみならず、宗教や哲学、当時の日本の思想・精神などに関する著述も行い、イエズス会神父・教員として、東西にまたがって広範な人脈と関心をもっていました。Monumenta Nipponicaの刊行に際しては、雑誌の目指すところとクラウス神父の人物・人脈に共鳴してか、学内外の支援と、上智大学内外の研究者による多くの寄稿が集まり、1938年1月、創刊号(第1巻第1号)が世に送り出されます。

日本の文化創造の象徴の意を込めて瑞鳥の鳳凰が配された創刊号表紙(1938年1月発行)*

同年7月には、創刊号に続く第1巻第2号が刊行。当初の構想であった季刊とはなりませんでしたが、日本の芸能・文学・宗教・思想、そしてキリシタン史など多彩なテーマを取り上げた論文、史料や原典の翻訳、小論文、書評が掲載され、国内外のメディアや学界でも取り上げられて好評を博しました。

続刊予告も豊富に掲載されたMonumenta Nipponica Monographs第1冊の扉ページ*

1940年には、雑誌に加えて、研究書・翻訳書シリーズ図書Monumenta Nipponica Monographsの刊行も始まります。第1冊目は、グスタフ・フォス神父(1912-1990)とフーベルト・チースリク神父(1914-1998)の共訳による『契(キ)利(リ)斯(ス)督(ト)記』と『査(さ)祅(よう)余(よ)録(ろく)』のドイツ語訳版で、江戸期に幕府当局が残したキリシタン禁制の記録が海外に紹介されることとなりました。

2.戦時下の困難・休刊を経て復刊へ

発行目的・編集方針などが書き込まれた「雑誌調査表」(1943/1944年頃)*

日本研究を通じて、上智大学の名を海外に浸透させ続けていた Monumenta Nipponicaでしたが、戦争がもたらす混沌とした日本および国際情勢とは無縁ではいられませんでした。

1941年、国内の紙不足により、大学は日本政府から印刷用紙の節約を求められます。それでも年2回の刊行ペースを維持しますが、戦時体制下での出版物を取り巻く状況は悪化してゆきます。1943/1944年頃のものと思われる「雑誌調査表」によると、1943年度以降は年1回、ページ数を増やして発行とすることも構想されていたようですが、1944年5月発行の第6巻(第1・2号合併号)の後は、刊行が滞ることとなりました。

その後、東京大空襲により上智大学のキャンパスと近隣が罹災し、戦後の1946年には初代編集長のクラウス神父が帰天。戦争による荒廃と戦後の混沌とした状況下にあって、Monumenta Nipponicaは1950年まで休刊状態となります。

シファー神父(写真左)とマシ―神父(写真右)(1963年、当時の図書館内Monumenta Nipponicaのオフィスにて)*

しかし、そうした逆境のなかでも、復刊に向けた動きが進み、1951年には、第2代編集長のヴィルヘルム・シファー神父(1914-1972、在任:1951-1963)らの尽力により、7年ぶりに第7巻が刊行。以降は、1人の編集長ではなく、シファー神父とフランシス・マシー神父(1925-2015、在任:1962-1963)の共同編集体制をとる時期もありました。現在に至るまで、刊行ペースや編集方針の見直し、媒体の追加などを重ねつつ(※2)、雑誌は刊行されています。

3.「いま」を見据え、「未来」を展望する

モニュメンタ・ニポニカ』―80年の節目を越えて未来へ―

2024年現在、Monumenta Nipponicaは、研究・出版をめぐる環境の変化に対応しています。創刊以来のコンテンツは、公式ホームページからさまざまな条件を指定して検索できるようになっています。また、各コンテンツの全文は、有料電子ジャーナルサービスのJSTORとProject MUSEを経由して、世界の大学・研究機関で閲覧することができます。創刊号から最新号まで、長きにわたる研究の成果・動向が、オンラインでより多くの世界中の読者の目に留まるようになっているのです。

2020年には、日英併記の創刊80年記念誌として、『『モニュメンタ・ニポニカ』―80年の節目を越えて未来へ―』が刊行され、その歴史と展望が紹介されました。Monumenta Nipponicaは、これからも国際的な日本研究の学術誌として世界へ発信し続け、研究者間の架け橋としての役割を果たしてゆきます。

(※1)“Aims and Objectives.” Monumenta Nipponica 第1巻第1号 (1938): 1. 
(※2)第19巻(1964年)より、掲載コンテンツは英語表記に統一。

*印の写真、資料はソフィア・アーカイブズ所蔵

上智大学 Sophia University