ニシンは北半球に広く分布し、日本を含む太平洋側にはニシン(図A・青)、ヨーロッパ沿岸の大西洋側にはタイセイヨウニシン(図A・赤)が生息しています。スウェーデンは塩分濃度の高い大西洋と低いバルト海に囲まれており、タイセイヨウニシンは両海域に生息しています(図B)。
本研究では、バルト海型と大西洋型のタイセイヨウニシンを比較することで、低塩分環境への適応に伴い、精子・卵・孵化といった生殖の各段階に関わる特定の遺伝子が強い自然選択を受けていることを、上智大学、城西大学、ウプサラ大学、マックス・プランク研究所、ノルウェー海洋研究所、ボン大学の国際共同研究チームが明らかにしました。
本研究には、日本から上智大学理工学部の川口 眞理教授および安増 茂樹名誉教授、城西大学理学部の佐野 香織准教授が参加しています。
本研究成果は2026年5月11日に国際学術誌Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS)に公開されました。
生物は進化過程で新しい環境に適応しながら多様化してきました。環境に適応する過程では、遺伝子に自然選択がはたらき、タンパク質の機能が変化してきたはずですが、そのメカニズムはよくわかっていません。タイセイヨウニシンは海水魚ですが、約8,000年前に誕生した塩分濃度の低いバルト海にも進出し、現在ではバルト海型と大西洋型の2つのタイプのタイセイヨウニシンがそれぞれの環境に適応しています。
タイセイヨウニシンのように体外受精をする魚種では、卵と精子が水中に放出されるため、環境の影響を直接受けます。本研究では、両タイプのニシンの繁殖に関わる遺伝子を網羅的に解析し、バルト海への適応には4つの要因が大きく寄与していることを明らかにしました。
塩分濃度が低いと、浸透圧により細胞内に水が流入しやすくなるため、体外受精時に水中に放精された精子は膨張しやすくなっています。本研究では、バルト海型ニシンでは、精子で特異的に発現するイオンチャネルLRRC8C2が低塩分濃度に適応する方向に自然選択を受けていることを明らかにしました。この結果は、LRRC8C2の機能的変化が低塩分条件下でも精子の体積を制御して繁殖成功度を上げている可能性を示しています。
バルト海型ニシンの卵において、卵膜を構成するタンパク質 ZPBが強い自然選択を受け、さらに後述のトランスグルタミナーゼと協調して進化することで、低塩分環境でも水を吸って膨らみにくい、より硬く高密度な卵膜が形成されていることがわかりました。
卵と精子が受精すると、卵膜は魚類に特有な硬化トランスグルタミナーゼFTGによって卵膜タンパク質同士が架橋され、硬く強靭な構造に変化します。本研究では、バルト海型ニシンにおいて、FTGが低塩分濃度でより高い活性を示すように自然選択を受けていることがわかりました。
受精後の硬い卵膜は、孵化時には胚が分泌する孵化酵素によって分解され、胚は外界に泳ぎ出します。本研究では、バルト海型ニシンにおいて、ゲノム上の孵化酵素遺伝子のコピー数が大幅に増大しており、その結果、低塩分濃度でも高い活性を示し、バルト海に適応した孵化を行っていることがわかりました。
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このように、配偶子形成・受精・孵化という発生過程に関わる複数の遺伝子が同時に自然選択を受けて、バルト海という低塩分濃度に適応した繁殖戦略を獲得したことがわかりました。本研究は、生殖メカニズムが環境に応じて柔軟に適応しうることを示唆しており、将来の環境変動に対する生物の適応能力を理解するための基礎的な知見を提供します。
Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS)
Sperm, egg, and embryo proteins critical for genetic adaptation of herring to low salinity in the Baltic Sea
2026年5月11日
https://doi.org/10.1073/pnas.2601861123
Cheng Ma, Fahime Mohamadnejad Sangdehi, Mari Kawaguchi, Kaori Sano, Svenja V. Dannenberg, Mats E. Pettersson, Andreas Wallberg, Joshua L. Wort, Yumeng Yan, Sergei Moshkovskii, Florian Berg, Arild Folkvord, Christof Lenz, Henning Urlaub, U. Benjamin Kaupp, Shigeki Yasumasu, and Leif Andersson
ある環境条件では、生存や繁殖に有利な性質を持つ個体がより多く子孫を残すようになると、その性質が世代を超えて集団に広がることができる進化の過程。
魚類の卵の一番外側にある、糖タンパク質が主成分の構造物。孵化まで胚を保護する役割を担う。
受精卵から発生の初期段階にある個体で、魚類では孵化前の個体を指す。
魚類の卵膜は受精すると卵膜タンパク質間に架橋構造を形成して強靭な構造に変化することで、胚を守る。
孵化時に胚自らが分泌する酵素で、硬くなった卵膜を分解することで胚は外界に出ることができる。
本研究の一部は、日本学術振興会(JSPS)の科研費(22K06344, 23K05879, 22K06303)の助成を受けて実施したものです。
上智大学理工学部物質生命理工学科
教授 川口 眞理 ( k-mari@sophia.ac.jp )
上智学院広報グループ (sophiapr-co@sophia.ac.jp)
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バルト海のニシンに起きた自然選択