本研究の要点
- ネパールではあらゆる近代的な避妊法が無料または最小限の費用で利用できるのに対し、日本では手に入れやすい避妊器具は主にコンドームのみ。
- 日本に移住したネパール人移民は避妊の選択肢の少なさ、言語の壁、費用の高さなどから、男性パートナーに頼ったり、ネパールから避妊具を入手したりせざるを得ないという状況が浮き彫りに。
- 渡航先でもアクセスしやすく、手に入れやすい価格で、出身国と同じような避妊サービスが利用できるようなユニバーサル・ヘルス・カバレッジの精神に則った施策の重要性を示唆。
研究の概要
上智大学総合グローバル学部の田中雅子教授、同大学アジア文化研究所のRachana Manandhar Shrestha客員研究員(兼任:東京大学大学院医学系研究科 客員研究員)、ネパールHealth Action and ResearchのRicha Shah博士、米国ハーバード大学ハーバード公衆衛生大学院のDivya Bhandari氏、ネパールAmoha Center for Mental Health and Well-BeingのBijay Gyawali博士は、ネパール人移民が日本に移住する前後における、性と生殖に関する保健サービス、特に避妊具に対するニーズに関連するギャップと課題を明らかにすることを目的とした調査を行いました。
その結果、女性主体の避妊の選択肢が限られていること、言語の壁、費用が高いことなどがあり、男性パートナーに頼ったり、ネパールから避妊具を入手したりせざるを得ないという状況が浮き彫りになりました。
ネパールではあらゆる近代的な避妊法が無料または最小限の費用で利用できるのに対し、日本では避妊器具は主にコンドームに限られており、ネパール人移住女性はその使用をパートナーの男性に頼らざるを得ないというのが現状です。そのため、ネパール人移住者はネパールから避妊具を手にいれるか、友人や親戚に母国から送ってもらうことが多い現状を踏まえ、本研究では、ネパールで使用されていた避妊薬と日本移住後に使用されていた避妊薬を調査し、移住後の日本における避妊薬へのアクセスにおけるギャップを、移住者の男女双方において、サービスが利用したい時に使える(Availability)、サービスが利用しやすい場所にある(Accessibility)、手の届く費用で利用できる(Affordability)、スティグマを感じずサービスを受けられる(Acceptability)の観点から明らかにしました。
本研究は、予定外の妊娠やそれに関連する健康問題を防ぐため、日本で利用できる性と生殖に関する健康サービスについての認識を高めるために、日本への移住者に対する出発前と到着後の研修の必要性を強調するものです。
本研究成果は、2024年7月2日に国際学術誌「Healthcare」にオンライン掲載されました。
研究の背景
持続可能な開発目標(SDGs)目標3.7は、2030年までに性と生殖の健康のためのサービス(Sexual and reproductive health service:SRHS)へのあらゆる人たちのアクセスを保障することを目指しています。また、SDGsでは、外国に移り住んで生活をする移民が経済活動等を通じて現地の社会に積極的に貢献していることを認識したうえで、脆弱な状態にある集団として、権利の保障を求めています。しかし、これまで、移民のSRHSのニーズにはほとんど関心が払われてきませんでした。
SRHSに関する具体的な課題としては、多くの移民女性が避妊具へのアクセスで困難に直面していることが第一に挙げられます。母国での避妊サービスや自分の権利をよく認識している人であっても、渡航先国でのサービスや規則、使用に関する規制の違いから、避妊器具や避妊法へのアクセスに苦労することが多いのが現状です。
2023年6月現在、日本に在留する外国人のうちネパール人は6番目に多く、在留ネパール人156,333人のうち、70,310人(45%)が女性であり、女性の割合は増加傾向にあります。そのうち61,305人(87%)は、生殖可能年齢(15~49歳)で、この年齢層の女性は、言葉の壁や、日本では避妊具の選択肢が限られていることから、SRHSのニーズを満たすことが困難です。そのため、予定外の妊娠や、その結果として人工妊娠中絶が必要になる可能性があります。
世界保健機関(WHO)は、経口避妊薬、緊急避妊薬、注射による避妊薬(デポプロベラ)、避妊インプラントを必須医薬品モデル・リスト(*1)に挙げています。また、中絶薬(例えばミフェプリストンとミソプロストール)もリストアップされていますが、「国内法で許可され、文化的に受け入れられる場合」という特記事項が付け加えられています。
日本では、調査時点では厚生労働省がデポプロベラや避妊インプラントを承認していませんでしたが(2024年8月現在も未承認)、ネパールではWHOがリストアップしたすべての選択肢が利用可能です。日本では経口避妊薬と緊急避妊薬は承認されていますが、市販薬ではなく、処方箋が必要です。日本の健康保険制度では、経口避妊薬と子宮内避妊器具(IUD)は月経困難症治療のみに適用され、避妊目的の場合は適用されず、費用の高さが問題です。男性用コンドームは日本でも容易に入手できますが、ネパールのものより比較的高価です。
ネパールでは、家族計画が国としての優先課題の一つであるため、政府やNGOが運営する保健施設では、経口避妊薬、デポプロベラ、IUD、避妊インプラント、男性・女性不妊手術、男性用コンドームなど、すべての近代的避妊具が最小限の費用または無料で提供されています。そのため、日本に移住したネパール人女性は、避妊具の選択肢の少なさやアクセスの難しさ、自国で使用していた避妊薬が継続できないといった問題に直面しています。
本研究では、ネパールで使用していた避妊法と日本移住後に使用している避妊法を調査し、移住後の日本におけるSRHS(特に避妊薬)へのアクセスにおけるギャップを、移民の男女双方において、サービスが利用したい時に使える(Availability)、サービスが利用しやすい場所にある(Accessibility)、手の届く費用で利用できる(Affordability)、スティグマを感じずサービスを受けられる(Acceptability)の観点から調査を行いました。
本研究を主導した田中教授自身、これまで、社会福祉士、また、DV相談員として、移民女性の予定外の妊娠の事例を数多く目にしてきたと言います。
「私自身も20年間ほど外国で暮らした経験もあるので、諸外国では避妊の選択肢が多いことはよく知っていました。そのため、日本に住む移民女性の困難を理解することができました。移民の多くは、質の高い医療サービスを受けられると信じて日本に来ます。しかし、日本における生殖保健サービスの選択肢の少なさに失望しているので、その実態を調べることにしました」(田中教授)
研究結果の詳細
調査には186名が参加し、そのうち106名(57.0%)が男性、80名(43.0%)が女性でした。参加者の半数以上が30歳未満(51.1%)で、155人がヒンドゥー教徒(83.3%)でした。
Availability
ネパールでも日本に移住した後でも、男性用コンドームの使用率は他のすべての方法と比較して一貫して高く、最も一般的に受け入れられている方法であることがわかりました。ネパールでは、デポプロベラ、インプラント、女性不妊手術などの女性向けの避妊法がより普及していますが、今回の調査結果はネパールの全国レベルの統計とはかなり異なる結果で、ネパールでも参加者の間でコンドームに対する強い選好性が示されました。これは、ネパールではコンドームが無料または最小限の費用で広く入手可能であることに起因する可能性があります。日本では、コンドームに比べ、他の近代的な避妊法は容易に入手できず、高価です。それに加え、移民が受入国の避妊習慣に適応する傾向があることも、コンドーム使用率の高さと関係があると考えられます。
コンドームとは対照的に、ネパールで緊急避妊薬やデポプロベラといった女性向けの避妊法を使用していた参加者の数は、日本への移住後に顕著に減少しました。これは、緊急避妊薬が日本では処方箋を必要とし、デポプロベラが日本国内で承認されていないため、ネパール人移民にとって入手が困難であるためと考えられます。
最も伝統的かつ効果のあまり見込めない膣外射精法とリズム法も、今回の調査参加者の間で一般的でした。この2つの方法を選択する女性の数は、ネパールよりも日本の方が比較的多いこともわかりました。ネパールでは性交渉のパートナーがいなかった女性が、日本で性行為をするようになり、これら2つの伝統的な方法を使うようになったこと、あるいは、他の近代的な方法が利用できないため、代わりに簡単に利用できる伝統的な方法に頼らざるを得なかったことが、背景にあると考えられます。さらに、日本への移住後に避妊法を使用しない人の数が増加していることが観察され、移住後に避妊習慣が変化した可能性が示されました。
Accessibility
参加者が避妊具の使用を避けた理由として、「避妊具の入手方法がわからない」と「避妊法について知らなかった」の2つが主要なものとして浮かび上がってきました。このことは、避妊に関する十分な知識がなく、避妊器具や避妊方法に関する情報へのアクセスが限られていることを示す結果です。さらに、日本のSHRSについて正確な知識を持っている参加者は少数であり、これは避妊具を使う人が移住後に減少したことと関連している可能性があると考えられます。
本研究の参加者において、避妊具やその入手方法に関する知識が限られていた理由の1つが、言語の壁です。参加者の60%以上が、日本語の日常会話レベルかそれ以下の低・中レベルの日本語能力しか持っておらず、本研究の参加者65名は、ネパールから何らかの避妊具を持参したか、移住後に自国の友人等から避妊具を入手したり、送ってもらっており、そのうち22名はその理由の1つとして「(言語の障壁がなく)入手しやすい」ことを挙げました。
Affordability
日本で避妊具を使用しない理由として、4人の調査参加者が「高価すぎて使用できない」と回答しました。このことは、避妊具や避妊薬が経済的に利用できない人がいることを示唆しています。また、移住前に避妊具を準備した人に理由を尋ねたところ、「ネパールの現地医療機関で無料であった」が16名、「ネパールで日本より安く入手できた」が15名でした。一部のSHRSや保険が適用されないSHRSの費用が高いことへの懸念も示されました。
Acceptability
スティグマを感じずにサービスを受けられるかという点に関しても、いくつかの障壁が確認されました。まずは、副作用に関する懸念で、ネパールと日本の5人の参加者から報告されました。この懸念はグループインタビューでも男女両方の参加者から声がありました。男性参加者がコンドームの使用に消極的であることも、もう一つの大きな懸念として浮かび上がってきました。コンドームの使用に男性側が反対することは、日本における避妊の課題として挙げられています。さらに、中絶に関連する文化的・社会的スティグマや、たとえ守秘義務が保証されている環境であっても、避妊の使用や性の健康に関する話題について話し合うことを躊躇するような文化的規範が、避妊の受け入れ可能性に大きな影響を与えている可能性を指摘する声もありました。
これらの調査結果から、①移民の出発前および到着後に日本で利用可能な避妊法など、セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルスのサービスに関する研修プログラムの開発・実施、②NPOや移民の当事者団体による、移民のニーズを満たすためのアウトリーチ活動や支援、③医療従事者向けに文化や言語の障壁をなくすための研修——の必要性が示されました。
田中教授は「国境を越えて移動する移民が、出身国と同じようなサービスを利用できるよう、渡航先でもアクセスしやすく、手に入れやすい価格で避妊サービスが提供されるような、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジの精神を具現化した政策が実施されること期待しています」と、本研究の波及効果について述べています。
本研究は、日本学術振興会(JSPS)の科研費(18KK0030, 23K28341)の助成を受けて実施したものです。
用語
(*1)WHO必須医薬品モデル・リスト: WHOが策定している、減退的な医療水準を維持するために必須と考えられる医薬品類のリストで、医薬品選定の際の指標として用いられる。
論文名および著者
- 媒体名
Healthcare
- 論文名
Gaps in Migrants’ Access to Contraceptive Services: A Survey of Nepalese Women and Men in Japan
- 著者(共著)
Masako Tanaka, Rachana Manandhar Shrestha, Richa Shah, Divya Bhandari, Bijay Gyawali
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上智大学総合グローバル学部 教授 田中 雅子
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