■名前:坂田 遼太郎 ■学部学科・学年(留学当時):外国語学部イスパニア語学科3年 ■留学時期:2024年3月~2025年12月 ■留学先(国・大学):チリ・カトリック大学 ■留学形態:交換留学
上智大学では毎年多くの学生が日本を飛び出して世界各国に留学しています。言語、文化、生活習慣の違いを乗り越えた先に見えたものとは。留学した学生たちの声を集めました。
ラテンアメリカ政治を専攻する私にとって、「日本的」な視点を一度手放して現地で生活することは、自然な流れだと感じていました。なので、留学に行かない選択肢は、入学以来一度も考えたことはありませんでした。
チリは30年以上前に軍事独裁政権から民主化を果たしましたが、現在も社会的な分断が指摘されています。このような文脈で生きる人々との交流が、私のラテンアメリカ政治研究に新たな視点を与えてくれると考えて、チリを選択しました。
チリのスペイン語は、他国出身のネイティブでも理解に苦しむほど独特と聞いていました。そのため、言語面が最大の懸念点でした。
また、チリは留学先として非常マイナーなので情報不足に悩まされ、私・両親共に常に不安を抱えていました。
語学において、日常会話レベルとアカデミックレベルは大きく異なると感じています。軽視されがちな文法も「現地に行けば話せるようになる」という考えを捨てて計画的に取り組んだので、学習面において現地で後悔することはありませんでした。
大学のメインキャンパスは、現地の人から「小さな街のよう」と言われるほど広大でした。現地の学生はチリの複雑な情勢も相まって、非常に政治意識が高い印象でした。
大半の友人とは寮で知り合いました。週末は小旅行へ行ったり、互いの国の料理を振る舞ったりして、今も連絡を取り合う関係性を築けました。大学では最初日本クラブに所属しましたが、自分の関心分野との違いを感じ、途中からは参加を控えました。
海外の大学といえば、学生同士で自由に議論するイメージが強いと思いますが、実際は講義中心の授業が多く、リアクションペーパーやグループディスカッションもありませんでした。
小さなことですが、専属料理人と言われるほど寮で料理を振る舞っていました(笑)。日本料理を作ることもあれば、チリ料理を作って辛口チリ人たちに評価を求めることも。結果、食を通して多くの友情が生まれました。
やはり圧倒的な自然の多様性です。世界一乾燥した北部の砂漠から中部のビーチリゾート、南部の極寒地帯パタゴニア、さらには熱帯気候のイースター島まで、チリ中を旅すれば世界中を旅したと言っても過言ではないほどです!
観光でアルゼンチンのブエノスアイレスに滞在中、ベネズエラ情勢をめぐる出来事がありました。街の象徴オベリスクがベネズエラ国旗の色に染まり、多数のベネズエラ難民が祝杯を上げる中、民主主義の意味について深く考える機会となりました。
賃貸契約を巡って大きなトラブルに巻き込まれました。稀なケースで、通常は経験しないので安心してください。
当初は自力で解決を試みましたが、身の危険を感じたので大使館に相談。帰国日まで全力でサポートしてくださいました。
私や多くの友人は政治や歴史に強い関心を持っていたため、繊細なテーマについて議論する機会が多く、時には意見が対立することもありました。そこで気づいたのが、どれだけ嫌悪感を覚えるような意見でも、相手がその考えに至った背景を知らなければ問題の本質は掴めないということです。これは私の考え方を大きく変えたと同時に、今後の研究や対人関係にも影響を与え続けると思います。実際に、卒業論文では、留学前に強い抵抗感を抱いていた「チリの政治勢力」をテーマに執筆する予定です。
就活や経済的事情等、留学を迷う理由はさまざまだと思います。しかし、感受性豊かな年齢だからこそ、人生に新たな視点と選択肢を与えてくれる経験であることは間違いありません。ぜひ前向きに検討してほしいと思います。
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異なる価値観と向き合い続けて。チリ留学が変えた思考のかたち