外国語学部の東郷公德教授は、没後400年以上経った今なお世界中で読まれ、舞台で上演され続けているシェイクスピアについて研究しています。現代社会を考えるうえでも参考になるシェイクスピアの魅力とは?
私の専門はシェイクスピアです。その魅力の一つは、人間の美しいところも醜いところも、すべてをあるがままに描いていることだと思います。戯曲『マクベス』には「きれいは汚い、汚いはきれい」という有名な台詞がありますが、これは人間の善いところも悪いところも表裏一体だということ。シェイクスピアが描く人物の多くは多面的で、善人にも悪いところがあり、悪人にも同情するべき点や共感できる点があります。人間を見る眼が複眼的なところがシェイクスピアの特徴です。
シェイクスピアが活躍したルネサンスという時代は中世から近代への過渡期。西欧ではカトリック教会の権威が否定され、地動説によって新しい宇宙像がもたらされるなど、中世までの世界観や価値体系が大きく揺らぎました。それまでの常識が通用しなくなり、価値観をめぐって人々が対立して社会が分断される状況は「VUCAの時代」といわれる現代と重なります。だからこそ、シェイクスピアが残した言葉の数々に私たちは深く共感するのではないでしょうか。
知的好奇心は無限に広がり続ける

シェイクスピアを学ぶには、ルネッサンスという時代背景を理解する必要があります。そのためには、キリスト教とギリシャ・ローマの文化、当時のイングランドの社会や政治体制、民衆文化、演劇界の状況を学ばなければいけません。また、今に至る400年以上の時間の流れのなかで、どのようにシェイクスピアが人々に解釈され、上演されてきたのかを知っておくべきでしょう。あるいは映画など異なる媒体でどんな姿に生まれ変わり続けたのか――。こうして自分の知的好奇心が無限に広がり続けることが私にとっての研究の面白さであり、同時に大変さでもあります。
シェイクスピアから社会における赦しと和解を考える
私の現在の研究テーマは「シェイクスピアにおける赦しと和解」。さらに、そこから発展して「社会における赦しと和解」「社会的寛容をどのように実現させるか」といったことを考えています。
「赦しと和解」はシェイクスピアの後期における重要なテーマです。自分に対して悪事や過失を犯し、多大な損害や精神的な苦痛を与えた相手を人はどこまで赦せるのか。晩年の戯曲『テンペスト』では、主人公のミラノ大公プロスペローが、かつて国を乗っ取って自分と娘を追放した実弟たちを赦す。まず、赦すことから始めなければ、人は前に進めないからです。
「社会における赦しと和解」については、欧米ではキリスト教の影響で哲学、神学、心理学、法学といった分野で研究の蓄積があります。しかし、日本ではどの分野でも研究は広がりも深まりもしていないのが現状です。今、世界では復讐の連鎖が止まりません。日本でも、例えば死刑制度を肯定して「復讐されて当然だ」と考える人が多くいるように、一度過ちを犯した人に対する不寛容が広がっています。日本社会に本来あったおおらかさが失われ、誰にとっても生きにくくなっている。
シェイクスピアには人間をあるがまま受け入れるという態度が根底にあります。シェイクスピアを出発点として「赦し」について考え、学術論文よりも一般書籍として世に出して、議論の叩き台を提示したい。それが今の私の目標です。
この一冊
『ボクの音楽武者修行』
(小澤征爾/著 新潮文庫)

世界的な指揮者・小澤征爾の青春エッセイ。「西洋音楽をやるからには西洋に行ってみなければ」という想いで24歳の小澤は貨物船に乗り、スクーターでヨーロッパへ。夢を持って、怖いもの知らずに挑戦していくことの尊さを感じる1冊です。
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東郷 公德
- 外国語学部英語学科
教授
- 外国語学部英語学科
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1987年上智大学外国語学部英語学科卒業、1989年同大学院文学研究科英米文学専攻博士前期課程修了。徳島大学教養部を経て、1992年より上智大学で教壇に立つ。2008年より現職。
- 英語学科
※この記事の内容は、2024年7月時点のものです