『御成敗式目』や昭和初期の裁判記録。古い文献から見える日本語の新たな側面

言語教育研究センター/言語科学研究科
准教授 
永澤 済

日本語史を研究する言語教育研究センターの永澤済准教授は、裁判記録などの実用文献をもとに日本語の歴史をひもといています。そこから浮かび上がる遠い昔の人々の姿や、日本語の独自性とは。

「古い時代の日本語」と聞くと、平安時代の貴族の文学作品や古典文法などを思い浮かべるかもしれません。でもそれは日本語の多様な文献のほんの一部にすぎず、まだ誰も研究していない資料は山ほどあります。私はその中でも、実生活にかかわりの深い裁判の判決文などを中心に、日本語の歴史や言葉の使い方を研究しています。

文語体では伝えきれなかった裁判官たちの熱い思い

これまで研究した資料の中でも印象深いのは、1930年代に書かれた、口語体による裁判の判決文です。日本では平安時代以来「書き言葉の文語体、話し言葉の口語」の分化が進みました。明治期になって、書き言葉と話し言葉を一致させる言文一致運動が起こり、新聞や小説などは「だ・である」「です・ます」などで書かれ始めたのです。ところが裁判の判例などの公文書は伝統的な文語体のまま。1930年代になって初めて、革新的な裁判官たちが口語体で判決文を書く動きが本格化しました。

それを読むと、当時の裁判官たちの試行錯誤の跡が見えてきます。「裁判所は(中略)信用するわけにはゆかぬ」と、裁判所を主語として当事者に語りかけるように書くなど、まさに口語体なのです。一方で主文は文語で格調高く書かれていたり、文末では「支払うべし」「支払え」「支払うこと」などのどれが適切かを議論していたり、一筋縄ではいかなかったことがうかがえます。

別の資料を調べると、当時の裁判官たちが判決文を口語で書こうとした背景が見えてきました。民衆の誰もが理解できる言葉を使うことこそ、真の意味で裁判所の威厳を保つことになるという強い信念があったのです。裁判官たちも古い文語調では論理的に伝えにくいと感じ、口語を使うことで判決の質を高めたいと願ったことがわかりました。古い資料から当時の人たちの熱い思いが伝わり、感動さえ覚えました。

「話せるけれど、書けない」現代における書き言葉の問題にも着目

私が最近興味をもって調べているのは、鎌倉時代の武士の法律『御成敗式目』や、裁判文書である『裁許状』です。これらは中国の漢文とは異なる「和化漢文」という文体で書かれています。漢文なのに日本独自の文法や語彙が使われていて、日本語の書き言葉の歴史をたどるうえで貴重な資料になっています。それとともに、中国語と日本語という異なる言語が接触することによって言葉が変化する様子が生き生きと伝わり、とても興味深いのです。

現代の日本語は、漢字、ひらがな、カタカナ、そしてローマ字という四つの文字を併用する世界でも珍しい言語です。これは日本語の魅力でもありますが、書き言葉にすると非常に難解です。

私が日本語の授業を受け持っている上智大学の帰国生(海外就学経験者)やインターナショナルスクール出身の学生は、複数の言語を使う環境の中で育っているので、言語能力は非常に高いです。しかし日本語の書き言葉や漢字の習得にとても苦労しています。彼らに日本語を教えるうえで、口語と文語に関する研究や、異なる言語の接触で起こる変化についての研究が役立つ場面は少なくありません。日本語史の研究で得た知見を、日本語教育の教授法の研究につなげることも今後のテーマの一つです。

この一冊

『An Elementary Grammar of the Japanese Language: With Easy Progressive Exercises』
(馬場辰猪/著)

明治初期、日本語廃止・英語公用語論に反対した著者が、日本語も諸外国の言語に劣らない思考や表現手段であると伝えるため執筆した本。150年前の著作ですが、現代でも違和感のない文法観と、驚くほど異なる文法観が共存して興味深いです。

永澤 済

  • 言語教育研究センター/言語科学研究科
    准教授

東京大学文学部言語学専修課程卒、同大学院人文社会系研究科言語学専門分野博士課程修了。博士(文学)。東京大学助教、名古屋大学准教授などを経て、2022年より現職。

言語教育研究センター

※この記事の内容は、2023年10月時点のものです

上智大学 Sophia University