メディア史が専門で、数多くの著作がある文学部の佐藤卓己教授。デマや流言、フェイクニュースがソーシャルメディア上に氾濫する「ポスト真実の時代」と呼ばれる現代に必要なリテラシーや、メディア史研究の有効性について語ります。
出版、新聞、映画、ラジオ、テレビといったメディアが社会に与えてきた影響について、長期的な歴史の射程でとらえる学問――それがメディア史です。ジャーナリズム論は内容の真偽を重要な争点としますが、メディア論はメディアの影響や効果の大小を問います。さらに、メディア論とはすなわちメディア史であると私は考えます。なぜなら、メディア論は影響や効果を問題にしますが、それは長い歴史のなかでしか測れないからです。
私は大学で野田宣雄教授にドイツ近現代史を学びました。その熱のこもった講義に刺激され、野田先生のように生きたいと研究者を志し、ドイツ留学で新聞学に出合ってメディア史の研究へと進みました。ナチズムへと至るドイツ社会民主党のプロパガンダ史の研究から日本のメディアへと関心を広げ、日本の言論統制、世論調査なども研究してきました。
ネガティブ・リテラシーのすすめ
今の時代、プロパガンダと聞くと虚偽情報や印象操作といった否定的なニュアンスでとらえられることが多いですが、本来は反宗教改革運動を推進すべくローマ教皇グレゴリウス15世が設立した布教聖省Sacra Congregatio de Propaganda Fideに由来する宗教用語です。ところが、1930年代のアメリカでプロパガンダの置き換え語としてマス・コミュニケーションという言葉が誕生しました。いまでは敵の宣伝活動はプロパガンダ、味方のそれはマス・コミュニケーションと表現されることが一般的ですが、この二つは表から見るか裏から見るかの違いでしかありません。マス・コミュニケーションは真実を伝えていて、プロパガンダは嘘を伝えていると考えていると、いまの「ポスト真実の時代」は生きにくいでしょうね。
ポスト真実とは、客観的な事実と異なることが事実として世論を動かしていく状況を表す言葉。2016年のドナルド・トランプ氏のアメリカ大統領選勝利や、イギリスのEU離脱を選択した国民投票などが顕著な例です。ソーシャルメディアの普及で誰もが情報の送り手となる時代、デマや流言、フェイクニュースが瞬時に大量拡散し、正確な情報の見極めは難しい。あいまいな情報を急いで判断することやリプライすることなく、真実がわかるまでは耐えて放置する「ネガティブ・リテラシー」が重要です。
一方で、デマや流言、フェイクニュースの蔓延は新しい現象ではなく、ソーシャルメディアの登場以前にも既存のメディアによって拡散されていました。それらはなぜ発信され、人々に受け入れられたのか。メディアと社会の関係を掘り下げて検証するメディア史こそ、あいまい情報があふれているポスト真実の時代を読み解く鍵になるのではないかと感じています。
大学は先生と出会う場所
現在、東アジアのメディア史を教科書にまとめ、日本語、中国語、韓国語で出版するプロジェクトを進めています。学生には、研究、講義、執筆と、自分が楽しんで仕事に取り組む姿を見てもらいたいと思っています。大学は教員と出会う場所です。高校までは担任制で自由に教師を選べませんが、大学では広い射程のなかで教員を選べます。私がかつて野田先生に出会って生き方を決めたように、若い皆さんにも、恩師と呼べる教員と出会う機会となるよう、大学を最大限活かしてもらいたいですね。
この一冊
『政治宣伝』
(ジャン=マリー・ドムナック/著 小出峻/訳 ちくま学芸文庫)
大学入学直後に出合い、私の研究を方向づけた一冊。フランスの著名な哲学者である著者がナチス・ドイツ占領期に自らがレジスタンスとしてプロパガンダでナチスと戦った実践を背景に、プロパガンダの歴史と思想を明快にまとめた名著です。本学哲学科の川口茂雄教授の解説も素晴らしいです。
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佐藤 卓己
- 文学部新聞学科
教授
- 文学部新聞学科
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京都大学文学部史学科卒、同文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。東京大学新聞研究所助手、同志社大学文学部新聞学専攻助教授、京都大学教育学部教授などを経て、2024年より現職。
- 新聞学科
※この記事の内容は、2024年5月時点のものです