宗教が扱ってきた生死の問題を哲学の視点から研究している、大学院実践宗教学研究科の佐藤啓介教授。葬儀や供養の仕方が自由になり、死者を再現するAIも登場するなかで、亡くなった人をどのように扱うかについて考える意義や手法などを語ります。
私の専門は宗教哲学といって伝統的に宗教が扱ってきた死や生きる意味、救われる体験などを哲学的に考える学問です。内容的には「死生学」と言い換えることもできます。近年、力を入れているテーマは、亡くなった人の扱いについて考える「死者倫理」です。
近年、慣習にとらわれない葬儀や供養が受け入れられるようになってきました。火葬の際は死装束ではなく、故人が普段着ていた服を着せることも多くなり、遺骨からダイヤモンドをつくる話を聞いてもあまり驚かなくなりました。
その一方で、私たちは慣習から離れた行為をするとき、心のどこかでこれで本当に正しいのだろうかと考えたり、日常の中で死者の記憶が薄れてくると、申し訳ないなどと思ったりすることがあります。こうした悩みや葛藤に、かつてはお坊さんなどの宗教家が答えを出してくれましたが、葬儀や供養の方法が自由になったことで、こうした話を聞く機会が減っています。だからこそ、宗教に代わるものとして、死者倫理を考え、明らかにしていくことは意義があると考えています。
死者AIの議論には死者をどう扱うかという観点が必要
研究の一つに、AI技術を使って故人をよみがえらせる「死者AI」をめぐる考察があります。死者を冒涜しているといった反対意見がよく聞かれますが、死者倫理からも、慎重に考えなければならない問題と言えます。死者AIに反発する人々は、何を問題だと感じているのでしょうか。AIが新たに生成する死者の言動によって、死者の過去の姿が改変されてしまったり、私たちの記憶に残る死者のイメージが変わってしまったりすることなのでしょうか。それとも、死者という存在をモノや道具のように扱っていることなのでしょうか。言い換えれば、私たちは死者の何を一番守るべきだと考えているのでしょうか。そうした問題を丁寧に議論する必要があります。
研究では、いま起こっている事象を調べつつ、それを思想的に考察するための理論を文献から構築していく方法が基本です。リアルタイムに世界で議論されている文献だけではなく、哲学理論は数世紀前の思想が土台となっていることも多いので、そうした思想も大きな手掛かりになります。例えば、18世紀のドイツの哲学者カントの議論が参考になることも多いですね。研究の面白さは複雑なテーマが整理され、この理論なら説明できると感じた瞬間です。
今後のテーマは誰もが心に持つ、「人間の悪」について
死者AIを普及させてよいかどうかや、そのためのルールづくりは喫近の課題です。パソコンやスマホのデータなど、死者の情報が本人の意向が確認できない状態で残ってしまう問題もあり、こうした課題解決の手段の一つとして、私の研究が役立てられたらうれしく思います。
また、私の研究のポリシーは「凡人の哲学」です。世俗的な人の迷いや悩みをテーマに研究することにこだわっています。哲学は人生相談のように誰かが答えを出してくれるものではありませんが、じっくりと考えることで、生きづらさや悩みと折り合いをつけることができます。死者倫理についても、ぜひ、悩める人とざっくばらんに議論をしたいですね。
今後やりたい研究テーマは「悪」です。犯罪に至らないまでも、私たちは親に暴言を吐いたり、他人のスマホを覗き見たりと、小さな悪事を働いてしまう。それはなぜなのか?こういう自分の悪とどう付き合って生きていけばいいのか?誰もが持つ心の悪について考察し、答えを出したいと思います。
この一冊
『悪について』
(中島義道/著 岩波新書)
哲学者のカントが論じた悪について、著者が鋭く解説しています。難解な部分もありますが、哲学の本は、立ち止まり思考をめぐらせながら時間をかけて読むのが王道です。自分自身の問題に引き寄せつつ、ときにはそんな本の読み方をしてほしいと思います。
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佐藤 啓介
- 実践宗教学研究科死生学専攻
教授
- 実践宗教学研究科死生学専攻
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京都大学文学部卒、同文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。聖学院大学人文学部准教授、南山大学人文学部准教授などを経て、2021年より現職。
- 死生学専攻
※この記事の内容は、2023年10月時点のものです