村上春樹の「魔術的リアリズム」と「リテラリー・ジャーナリズム」を探究する

日本文学を専門とする国際教養学部のマシュー・ストレッカー教授は、学生時代に村上春樹氏と直接会い、彼の作品に強い関心を持ちました。村上作品で用いられる「魔術的リアリズム」に惹かれる一方、文学的手法で真実を描く「リテラリー・ジャーナリズム」にも注目し、作家の個性や視点が反映された物語を研究しています。

日本に興味を持ったきっかけは、子どもの頃に第二次世界大戦に関する書籍を読んだことでした。高校で古事記を読んでさらに魅力を感じ、大学では日本研究を専攻して日本語を学びながら源氏物語などの文学作品にも触れました。博士課程では、私の指導教授であり村上作品の翻訳者としても知られるジェイ・ルービン教授が村上氏本人を紹介してくれたこともあり、彼の作品に深く触れる機会を得ました。

魔術的リアリズムによる違和感で熟考を促す村上春樹の手法とは

村上氏は、日常的・現実的な表現に、自然な形で非日常・非現実的な瞬間を織り交ぜる手法を用いることで知られています。これは「魔術的(マジック)リアリズム」と呼ばれ、元々はガブリエル・ガルシア=マルケスのようなラテンアメリカの作家たちが用いた現実と幻想を分ける手法でした。村上氏は独自のアプローチで物語を紡ぎ、人間の執着や懐かしさといった感情を探ってきました。そして現実離れした表現には頼らず、現実の中に不思議な出来事を織り交ぜることで、読者に違和感を覚えさせ、深く考えさせる作品を作り上げています。

彼の作品の魅力の一つに、「すべてを語らない」ことが挙げられます。読者に直接何を考えるべきか伝えず、漠然とした問題点を提示し、自身で解決することを促すのです。他の作家とは異なり、彼は物語を無理に作り込むことなく、自然かつ流れるように記します。この独特な語り口が、村上作品の魅力を一層際立たせています。

私が博士論文のテーマに村上氏を選んだ当時、彼が名誉ある文学賞を受賞していないという理由でその作品も「純文学」と認識されていませんでした。そこで私は論文の第1章で「純文学ではない」作家を研究対象に選んだ点に焦点を当てることで妥当性を証明しました。これにより、私の後に続く学生たちも多様な研究テーマを選択できるようになったのではないかと感じています。

現在、私は10年前に出版した「The Forbidden Worlds of Haruki Murakami」の続編に取り組んでいます。新しい本では、彼と似た手法を用いている多くの日本人作家の例として、大江健三郎氏や新海誠氏などの作家を取り上げる予定です。

交わりあうジャンルと文学ジャーナリズムの探求

私はジャンル研究にも関心があり、特に一見相反するような魔法と現実といった概念が交わる部分に着目し、ジャーナリズム、私小説などさまざまなジャンルの定義や違いを研究しています。私が特に注目しているのは、リテラリー・ジャーナリズムという、真実を文学的な手法で描くアプローチです。

例えば、地下鉄サリン事件を題材にした村上氏のノンフィクション作品「アンダーグラウンド」では、調査報道のような感情を排したスタイルとは異なり、書き手の個性や物語との関係性などが反映され、通常のニュースで触れられない部分を補う役割も果たします。完全に客観的ではなくとも、事実に基づいて書かれている点は変わりません。

明治時代初期のジャーナリズムには、リテラリー・ジャーナリズムの初期の形が見られます。仮名読新聞を創刊した仮名垣魯文の『高橋阿伝夜叉譚』では出来事が大きく脚色され、物語をよりセンセーショナルに描いて多くの読者を惹きつけました。最近の事例では、阪神・淡路大震災後に物資を配る活動を記録した田中康夫氏の『神戸震災日記』が挙げられます。

私のプロジェクトは、どれも長きにわたり研究しているものです。一つのプロジェクトが終わると、新たなアイデアが浮かび、再び興味を惹かれてしまう。常に新しいアイデアに触れ、日々研究を続けています。

この一冊

『Great Dialogues of Plato』
(Phillip G. Rouse、Eric H. Warmington/編集、W.H.D.Rouse/訳  New American Library)

大学入学前に、父から譲り受けた特別な本です。何度も読み返し、40代になってようやくしっかりと内容を理解できるようになりました。村上作品の研究の土台となった一冊でもあります。プラトンが心を通じて探究する魔法の世界は、村上氏の魔術的リアリズムに通ずるところがあります。

マシュー・ストレッカー

  • 国際教養学部国際教養学科
    教授

テキサス大学で学士号と修士号を取得後、ワシントン大学で現代日本文学の博士号を取得。現在、上智大学で現代文学、ジャンル研究、文学史、クリティカルシンキングに関する講義を担当。

国際教養学科

※この記事の内容は、2024年7月時点のものです

上智大学 Sophia University