人間の存在と言葉の持つ意味を問う、ポール・オースター研究

文学部英文学科 
准教授 
下條 恵子

アメリカ文学が専門の文学部・下條恵子准教授は、アメリカの現代作家、ポール・オースターの研究をしています。作品の特徴である「人間の存在や言葉とは何か?」の問いかけから、言葉の持つ力について考察を深めています。

私の専門はアメリカ文学で、ポール・オースターという現代の作家を研究しています。オースターは、推理小説の枠組みをうまく利用しつつも最後まで謎が残るという、ちょっと変わった小説を書くことで知られている作家です。

例えば、初期の作品で、ニューヨーク三部作と呼ばれている中の1作目にあたる『City of Glass(邦題『ガラスの街』)』。主人公の作家クインは、私立探偵宛の間違い電話を受けたことをきっかけに、探偵になりすまして、ある元大学教授を監視するという仕事を引き受けます。しかし事件は何も起こらない。人目を避け、ニューヨークの街を尾行して歩き続けるうちに、主人公は何が真実か虚構かわからなくなり、自分の存在さえ見失っていきます。最後まで謎は解明されないまま。人間の存在について考えさせられる作品です。

言葉や名前で、自分が自分であることの証明ができるのか

人間の存在とは何か。これはオースターの作品に共通している特徴でもあります。自分のことを知っている人が誰もいなくなった社会で、自分が自分であることをどうやって証明するのか。名前は自分の存在の証明となりうるのか。彼の作品は、何によって人はその人たらしめられるのかを問い続けています。

言葉に対する信頼感や不信感、確実性と不確実性も共通するテーマです。例えば、記憶を言葉で表したとき、それは本当に正確なものなのか。そもそも、繰り返し語ることによって揺らぎが生じる記憶をどう受け取るのか――。人間は言葉を操ることはできない、オースターはそのように考えているようです。むしろ、言葉には人や現実に影響を及ぼす力があるのでは、とも考察しています。言葉とは何か。これは時代を超えて文学が取り組んできた問いでもあります。彼は、そうした普遍的なテーマに挑み続けている作家なのです。

文学研究で養われるのは、今の時代に必要な本質を見抜く力

研究にあたっては、テキストの精読を最も大切にしています。たくさんの作品を何度も細かく読み込んでいくと、同じ単語が重要な場面で何度も使われていたり、少ししか登場しない脇役に意味があったりすることに気付くことができるのです。

また、その作家・作品だけを深めるのではなく、アメリカという文脈の中での位置付けを知るために、歴史や社会などについても学びます。文学としては少し違和感のあるテーマに思われるかもしれませんが、オースターの作品の中にはお金の話がよく出てきます。言葉が通貨と交換可能なものとして描かれるだけでなく、彼自身が父の遺産金を受け取って専業作家に転身したことを繰り返し語っています。アメリカにおける労働と経済活動の社会的位置付けや、死者と生者の間で取り交わされる金銭の哲学的意味など、文学における金融表象についても、研究を深めていきたいと考えています。

今の時代、言葉を発信するプラットフォームは多岐に渡り、発信されるスピードも加速しています。だからこそ言葉が持つ意味、そして人に与える影響を歴史的蓄積に基づいて、多角的に分析する力が求められる時代だと考えています。文学の研究は、そうした力を養う機会を与えてくれるものです。文学をきっかけに、世の中にあるものをそのように捉える視点を、研究者として提供していけたらと思っています。

この一冊

『The New York Trilogy』
(Paul Auster/著 Penguin Books出版)

ニューヨークを舞台に書かれた初期の作品3本をまとめた本です。大学の卒業論文のテーマを探しているときに、このなかの『City of Glass』を読み、オースターに魅了されました。研究の道に進むことになったきっかけとも言えます。

下條 恵子

  • 文学部英文学科 
    准教授 

福岡女子大学文学部英文学科卒、State University of New York, University at Albany 大学院修士課程修了、福岡女子大学大学院文学研究科英文学専攻博士後期課程修了。博士(文学)。宮崎大学教育文化学部准教授、九州大学大学院言語文化研究院准教授を経て2020年より現職。

英文学科

※この記事の内容は、2022年9月時点のものです

上智大学 Sophia University