オスが出産する魚として知られる、タツノオトシゴ。理工学部の川口眞理准教授は、タツノオトシゴの繁殖行動で重要な役割を果たす「育児嚢(いくじのう)」と呼ばれる器官の機能について研究を行っています。
日々専門分野に関するデータや論文に目を通していると、他の研究者があまり手をつけていない穴場的なテーマに出会うことがあります。私の場合、それがタツノオトシゴでした。
タツノオトシゴはユニークな見た目で、生物としては人気がありますが、研究対象としている人はごくわずか。当時、魚の孵化について研究をしていた私は、多くの魚が水中で孵化するのに対して、タツノオトシゴの場合はオスだけが持つ「育児嚢(いくじのう)」という器官の中で孵化する点に興味を覚えました。育児嚢についての文献を調べても、遺伝子レベルでの研究はほぼ見当たらず、それなら自分がやってみようと思いました。
こんなに特殊な魚種なのだから、タツノオトシゴだけがもつ遺伝子があるのではないかと思って調べてみると、実際にタツノオトシゴだけに見つかる細胞やそこで働く遺伝子を見つかりました。この遺伝子はタツノオトシゴへの進化の過程で新しく誕生したものでした。
いまだ謎の多い育児嚢。胎盤のような役割も
育児嚢は文字通り子育てのための器官で、哺乳類であればカンガルーやコアラに、魚ではヨウジウオ科のオスにのみ見られます。形状は魚種によって異なりますが、卵を覆う袋状の育児嚢を持つのは、タツノオトシゴだけ。タツノオトシゴのオスは、メスが育児嚢に産み付けた卵を受精させ、孵化させ、稚魚になるまで育ててから海水に放出します。その様子は、出産そのものです。
現在は主に、育児嚢の機能や進化のプロセスを遺伝子レベルで解析する研究に取り組んでいます。育児嚢は、いまだにわかっていないことも多い器官。卵を保護するだけでなく、栄養を補給する働きがあることが報告されています。私は現在、育児嚢の中の環境をきれいに保つ方法、例えば稚魚の排泄物などの排出方法を調べています。このような役割を育児嚢が持っているということは、哺乳類がもつ胎盤の機能をタツノオトシゴの育児嚢も持っていることを意味します。
学生時代に発見した消化酵素の機能を解明。名付け親に
研究の過程では、行き詰まることもあります。そんな時は、別のテーマを進めながらも頭の片隅にとどめて定期的に引っ張り出す。これまでの経験上、そうやって調べ続けていると、あるとき疑問が解決するのです。
例えば2年前には、大学院時代に発見した機能不明の遺伝子が、魚類に共通する消化酵素だということを突き止めました。この酵素の「パクタシン」という名前は、発見者である私が命名したもの。15年近くかかりましたが、長年の疑問が解決する瞬間はやはり嬉しいものですし、新規酵素の名付け親になるというご褒美をもらえたことも、貴重な経験になりました。
タツノオトシゴはまだ謎の多い魚ですが、これまでの研究で得た断片的な情報がつながり、いろいろなことが少しずつ明らかになってきています。今行われている研究の多くが、過去の研究者が積み重ねた知識の層の上に成り立っているように、私が研究を通して得た知識も、いつか誰かの研究のベースとなり、それがまた新しい発見につながるのです。研究にはそれぞれ目的がありますが、知識を積み重ねていくこと自体も研究活動の一つの意義だと、私は考えています。
この一冊
『原色日本淡水魚図鑑』
(宮地伝三郎ほか/著 保育社)
子どものころから生き物が好きで、この図鑑は小学生のとき、両親にせがんで買ってもらったもの。精密なイラストが気に入り、目次の並びを覚えていたことは、その後の魚類の進化を研究する上でも役立っています。
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川口 眞理
- 理工学部物質生命理工学科
准教授
- 理工学部物質生命理工学科
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東京都立大学理学部化学科退学(大学院飛び入学のため)、同大学院理学研究科修士課程修了、上智大学大学院理工学研究科生物科学専攻博士後期課程修了。博士(理学)。東京大学大気海洋研究所日本学術振興会特別研究員(PD)、上智大学理工学部助教などを経て、2016年より現職。
- 物質生命理工学科
※この記事の内容は、2022年8月時点のものです