社会の幅広い問題と深く関わる民法。法学部の宮澤俊昭教授は、憲法や行政法、他分野の学問と民法の関わりを中心に研究しています。その意義について、社会的に耳目を集めた諫早湾干拓紛争を例に語ります。
私の研究対象は民法ですが、民法だけを研究しているのではありません。民法と憲法、あるいは行政法との関わり、さらには政治学、経済学、経営学、社会学、行政学など別の学問に照らし合わせ、どう調和させていけば社会がうまく回るかを考えています。
代表的な例は、諫早湾干拓紛争です。長崎県と佐賀県にまたがるこの湾の一部に、巨大な堤防が築かれたのは1997年のことです。目的は洪水対策や農地造営でしたが、堤防によって諫早湾の潮流が変わり、干潟の生態系にも多大な影響を及ぼしました。
漁業へのダメージは甚大で、漁業関係者らは即座に「堤防の水門を開けて魚を戻してほしい」と訴え、裁判を起こしました。2010年に福岡高等裁判所が開門を認める判決を出したところ、今度は農業関係者が「水門を開けると耕作地に塩害がおきる」と開門の差し止めを請求したのです。2017年、長崎地方裁判所はこれを認める判決を出しています。
諫早湾の水門の開閉訴訟は矛盾しているのか
つまり、一方では「水門を開けるべきだ」という判決が、もう一方では「水門を開けてはいけない」という判決が出たわけです。それぞれの判決に法的な問題はないものの、社会的に見ればあきらかに矛盾しています。このような問題と向き合うとき、法学の立場からはもちろんのこと、法学以外の学問分野の知見が非常に重要になってきます。
たとえば、事前の合意形成に問題はなかったか。大規模な公共事業ですから、事前に漁業関係者とは合意があるはずです。その視点で検討するためには、政治学や行政学の知見が必要になります。あるいは、諫早湾の堤防による被害状況を確認するためには、社会学や環境に関連する自然科学からの情報も必要になるでしょう。
さまざまな知見を集めたとき、基盤になるのはやはり民法です。これまでの紛争解決の例や法体系に照らし合わせ、矛盾がないか検討し、法学以外のさまざまな学問分野の知見も取り入れて調和させていく。法学者は言うなれば、オーケストラの指揮者のような役割だと感じています。
他者の正しさを受け入れ、調和するために法律はある
諫早湾干拓裁判は、2024年に「水門を開けない」ということで決着がつきました。しかし、当事者どうしの紛争は残り続けていますし、漁獲高をどう回復させるかは地域の深刻な課題です。今後も研究を継続し、解決に向けた道筋を検討するために、他の学問分野に向けてどんなアプローチができるか考えていくつもりです。
人間にはそれぞれに物語があり、物語ごとに正しさがあります。よく「法律は冷たい」と言われますが、法律に則って問題を解決すると、どうしても切り捨てられる部分があるからです。かといって、全員分の正しさをすべて拾い集めても紛争は解決しません。どこを切ってどこを残すか、それを知るためにも法律以外の分野の知見は欠かせないのです。
100点満点の正解でなくても、60点や70点で幸せを感じることはできるはず。自分だけの正しさではなく、ほかの人の正しさも受け入れて、調和しながら人生を歩んでいく。法律はそのために存在すると、私は思うのです。
この一冊
『夜の蟬』
(北村 薫/著 創元推理文庫)
大学院生時代に読み、日常の中のささやかな謎を解き明かす面白さに心ひかれました。一見ありふれた問題でも、当事者にとっては重要な意味を持つ。そんな問題に向き合うことが法学の役割なのだと改めて感じさせられます。
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宮澤 俊昭
- 法学部地球環境法学科
教授
- 法学部地球環境法学科
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一橋大学法学部卒、同大学院法学研究科博士課程修了。博士(法学)。近畿大学法学部講師・准教授、横浜国立大学大学院国際社会科学研究院准教授・教授を経て、2025年より現職。
- 地球環境法学科
※この記事の内容は、2025年6月時点のものです