国際研究チームがスリランカの移民制限政策の効果を検証
本研究の要点
- スリランカの母親の海外出稼ぎ制限政策による、子どもの健康、教育と世帯所得の変化について定量的に分析。
- 母親の在宅率が上昇したことにより、子どもの入院率が約15%減少するなど健康、教育状態は向上。
- 本研究は実際に施行された政策効果を実証的に評価していることから、スリランカや他の開発途上国における今後の政策議論に重要な視座を提供。
研究の概要
上智大学 国際教養学部長谷部 拓也准教授、コーネル大学の則友 雄磨氏(同大学博士課程)、スリランカ政策研究所のBilesha Weeraratne研究員の研究グループは、母親の国際的な出稼ぎ労働を制限するスリランカの政策が、子どもの健康、教育に与える影響を検証しました。
スリランカでは、女性が中東諸国へ家事労働者として出稼ぎに行くケースが多く、海外からの送金が重要な収入となっている一方、母親の不在による子どもへの影響が懸念されていました。2013年、スリランカ政府は5歳未満の子どもを持つ母親の海外出稼ぎを制限する「Family Background Report(FBR)政策」を導入しました。本研究では、この政策が子どもの健康、教育に与える効果を、家計調査データを用いて分析しました。
分析の結果、本政策により母親の海外出稼ぎは減少し、在宅率が上昇したことが確認されました。これと同時に、子どもの健康状態は改善し、特に入院率は約15%減少しました。海外送金額は減少しましたが、国内送金額の増加によりその影響は相殺され、世帯所得における有意な変化は見られませんでした。さらに、政策の直接的な対象ではない、年長の兄姉についても留年が約60%減少する波及効果が見られました。
本研究は、海外出稼ぎによる経済的機会と、母親の在宅による子育てとのトレードオフの関係を定量的に示すとともに、子どもの健康、教育への投資を通じて、子どもの将来にも正の影響を明らかにした点で、重要な意義を持ちます。
本研究成果は、2025年12月13日に国際学術誌「World Development」にオンライン掲載されました。
研究の背景
国際的な出稼ぎ労働は、開発途上国にとって重要な収入源です。海外からの送金は、子どもの教育や生活水準の向上に貢献しますが、親が海外で働くために家族と離れ離れとなり、子どもの発達に悪影響を及ぼす可能性も指摘されてきました。アジアの先行研究では、特に母親の不在が子どもの健康や教育に負の影響を与えることが示されています。
そこでスリランカ政府は2013年に、女性家事労働者に渡航前の要件としてFamily Background Report(FBR)の提出を義務付ける制作を導入し、原則として、5歳未満の子を持つ女性家事労働者の国際的な就労目的の移住を制限しました。FBR政策は女性のみを対象とすることから、女性の経済的機会を制限し、権利を侵害する懸念があり、主にジェンダーの観点から政策論議や学術的議論の対象となってきました。
しかし、母親の存在による子育て効果と、海外送金による経済効果という2つのバランスについてはこれまで十分に解明されていませんでした。また、これまでの研究の多くは海外出稼ぎを促進する政策を対象としており、それを制限する政策効果についてはほとんど分析されていません。さらに、男性の出稼ぎを中心とした研究が主流であり、女性の出稼ぎに焦点を当てた研究は限られていました。
本研究は、スリランカのFBR政策という実際の移民制限政策を研究対象とすることで、母親の存在が子どもに与える純粋な効果を定量的に明らかにすることを目指しました。
研究結果の詳細
本研究では、スリランカ政府統計局が実施した、全国規模の家計所得・支出調査(HIES)の2009年、2012年、2016年のデータを用いて分析を行いました。政策効果を厳密に推定するため、差分の差分法(Difference-in-Differences)を採用しました。比較対象は、3年間の調査データから計22,419世帯で、5歳未満の子どもを持つ世帯(政策対象)は各年で約46%、5歳以上の子どもを持つ世帯は約54%でした。これらの世帯について、政策導入年の2013年以前(2009年、2012年)のデータと以後(2016年)での比較をしました。
比較分析の結果、母親の在宅率向上により、子どもの健康状態が改善しただけではなく、その背景にあるメカニズムも明らかになりました。具体的には、子どもの外来受診には有意な変化が見られなかった一方、入院を要するような重症化のケースが約15%減少していることが示されました。これは、母親が日常的に子どもの健康を管理することで、病気の予防や早期対応が可能になったためだと考えられます。
また、経済面では海外送金額は減少しましたが、親戚からの送金や世帯内の労働配分の調整により、世帯所得への影響は最小限に抑えられていることも判明しました。さらに、政策対象ではない年長の兄姉の学業成績も向上しており、母親の存在が家族全体の教育環境の改善につながっていることもわかりました。
本研究は、スリランカで実際に施行された政策の効果を実証的に評価したものであり、本成果はスリランカや他の開発途上国における出稼ぎ・移民政策の議論に貢献することが期待されます。
子どもの健康・教育の改善は人的資本(※1)の蓄積そのものであり、一時的な効果にとどまらず、長期的に子どもの将来に好影響を与えるため、経済開発の観点からも重要な意義を持ちます。ただし、本研究は政策の一側面を評価したものであり、女性の就労機会や権利、マクロ経済への影響など、多角的な観点からのさらなる研究が求められます。
※本研究は、上智大学学術研究特別推進費、上智大学個人研究成果発信奨励金、上智大学人間の安全保障研究所研究助成金、及び一橋大学経済研究所共同利用・共同研究拠点(研究課題番号:IERPK2511)の助成を受けて実施されました。
用語
(※1)人的資本:教育や健康を通じて個人に蓄積される能力。将来の生産性や所得に影響を与える。
論文および著者
- 媒体名
World Development
- 論文名
Restricting mothers’ international migration and human capital investment
- 著者(共著)
Takuya Hasebe, Yuma Noritomo, Bilesha Weeraratne
研究内容に関するお問合せ
長谷部 拓也准教授 (上智大学 国際教養学部 国際教養学科)
thasebe@sophia.ac.jp
報道関係のお問合せ
上智学院広報グループ
sophiapr-co@sophia.ac.jp