十字架やマリア像など、キリスト教にはいくつものシンボルがあります。神学部のアントニウス・フィルマンシャー准教授は、キリスト教の典礼におけるシンボルと、それによって引き出される神と人との対話について研究しています。
私の研究テーマはキリスト教におけるシンボルです。目に見えない信仰の力を目に見える形にしたものがシンボルです。
多くの人は、十字架をキリスト教の存在を知らせるサインと受け止めがちです。しかし、キリスト教の十字架は人生を支える神の恵をしるすシンボルです。シンボルとサインはまったく別のもので、サインは火事を知らせる煙のようなものです。この煙で周囲の人たちは火事の発生に気づきます。
キリスト教のシンボルは神との対話に招くしるしです。キリスト者は十字架によって神と響き合います。イエス・キリストの人生と接する過程で自分の人生を振り返るのです。十字架のほかに、香炉から立ち上る煙も典礼におけるシンボルです。「神様、私の思いを燃やした煙をどうぞ受け取ってください」と祈るのです。神との対話を可能にするもの、それがシンボルの力です。
シンボルは情報よりも人生の深みへと導くしるし
宗教に限らず、この世には対話のためのたくさんのしるしがあります。名刺を交換することで、会社や組織の信頼性、過去の経験や技術、「ともに仕事をするのだ」という意欲などを相手に伝えます。キリスト教のシンボルは意欲とともに相手への自己譲与に導きます。
例えば、キリスト教の結婚式では、ダイヤモンドの指輪は「結婚してください」という高級なサインでしょうか。違いますよね。ダイヤモンドであるかどうかは別として、指輪を受け取る人はそこにプロポーズする側の勇気や堅い信頼と美しい愛情を感じるでしょう。指輪を受け取るということは、相手の愛や信仰、人生も受け入れることになります。ダイヤモンドの指輪であれば、更に愛の美しさや丈夫さがより強く表現されるでしょう。心の根底からの対話、すなわち目に見えない約束や決断の共有がシンボルを通じて行われるのです。
そもそも、なぜ人間はシンボルを作り出すのでしょうか。それは誰しも、心の中に神秘的な部分があるからです。私だけが知っている私、また自分でさえ知らない私が心の奥底にあり、それを表現するために人間はシンボルを必要とするのです。そのシンボルを使い、私たちは自分と、そして他者と対話するのです。キリスト教では、この人間の普遍的な側面を超越的な存在者である神との対話までに持ち上げます。
デジタル社会でシンボルに接する力が問われる
文字や言葉、文章もシンボルです。私たちは書物を通じて深い対話を行ってきました。しかし私には一つの懸念があります。デジタル化が進む現代社会のなかで、端末を通したコミュニケーションが一般化していることです。すぐ隣の部屋で仕事をしているのに、ドアをノックすることもなく、用件がメールやショートメッセージで送られてきます。短い言葉で、心を読み取るにはあまりにもあっけない。便利さのためには効果的かもしれませんが、その繰り返しによって人間の深い対話が減少します。その結果、対話はサインに変化します。
シンボルを通じた対話は、私たちを人間性の深い側面に導きます。愛情も希望も信仰も、目には見えません。人間の存在の土台になるすべてのものは目に見えないのです。すべての事象を画像や動画で瞬時に共有できる現代だからこそ、目に見えるものだけがすべてではないと知ってほしいのです。
人間は機械ではありません。探求してもしきれない不思議な部分がたくさんあります。人間の神秘性を理解するのは、デジタル社会でもシンボルの力によって不可能ではないと信じています。
この一冊
『聖書 新共同訳 旧約聖書続編つき』
(財団法人日本聖書協会)
書物もシンボルの一つですが、聖書以上にシンボルに満ちた書物はありません。人間の目に見えないもっとも深い存在について登場人物が語る、とても不思議でとても魅力的な本。高校生のときに深く読み、今も楽しく読んでいます。
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アントニウス・フィルマンシャー
- 神学部神学科
准教授
- 神学部神学科
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ジャカルタ(インドネシア)生まれ。ドリヤルカラ哲学大学(インドネシア)卒。上智大学大学院神学研究科修士課程修了。サンタクララ大学(米国)大学院神学専攻博士課程修了。博士(神学)。上智大学神学部准教授、カトリック・イエズス会センター福センター長等を経て、2014年より現職。
- 神学科
※この記事の内容は、2025年6月時点のものです