文学部の森田直子教授の専門はフランス語圏文学、比較文学、海外漫画の歴史です。19世紀に世界で初めて、連続したコマ形式の漫画を生み出したロドルフ・テプフェールを中心に、文字と図像を使った文学表現の研究について語ります。
人は、架空の物語を介して自分や他人、現実の世界について考えられるし、物語に救われることもある。文学の力を追究するのも、実学を学ぶのと同じくらい価値がある。そう考えて、私は文学の研究と教育を続けてきました。
文学研究というと有名な作家を選んでテーマにすることが一般的です。しかし、私は特定の作家ではなく、広く読書文化や出版文化について考えたいと思い、当初は新聞連載小説や挿絵を研究テーマに選びました。
日本の新聞連載小説には挿絵が付き物です。一方で、新聞連載発祥の地であるフランスでは挿絵がなく、連載開始を絵入りのポスターで告知する伝統がありました。出版社や新聞社が文字だけでなく絵を使って工夫することで、読み物が女性や子どもを含む多くの人の手に届くようになった過程に興味を持ちました。
日本の漫画文化に影響を与えた海外の潮流
文字と絵で物語るという形式がなぜ読者をひきつけてきたのか。こうした関心のもと研究を続けるなか、フランス留学中に知ったのが、世界で初めて連続したコマ形式の漫画を生み出した19世紀のスイス人、ロドルフ・テプフェールです。テプフェールはフランス語圏のジュネーブで寄宿学校を経営しながら、生徒向けに絵と文章を組み合わせたコミカルな物語を制作しました。
彼の作品は同じ人物が最初から最後まで一貫して登場し、連続したコマの中で物語の因果関係が論理的なつながりを持った絵で表現されていることが特長です。
日本では漫画が鳥獣戯画や葛飾北斎から続く日本固有のメディアであり、ストーリー漫画の父は手塚治虫だと言われます。しかし、手塚治虫はディズニーから影響を受けていますし、さらに歴史をたどると大正期には雑誌『アサヒグラフ』が海外の漫画の翻訳版を掲載していたことからも、漫画が日本固有のメディアではないことが分かります。
日本の漫画文化につながる海外の潮流は二つありそうです。一つは19世紀末からアメリカの新聞の日曜版に掲載されていた漫画で、初めて吹き出しが使われています。そして、もう一つがテプフェールの作品です。ストーリー漫画の原型と考えられるテプフェールの作品はパリで人気を集め、海賊版がイギリスやアメリカにも出回り、日本にも伝来した可能性があります。
広い意味での物語メディアに光を当てる
テプフェールの研究を始めたのは帰国後、赴任先の大学で「漫画を研究したい」と学生に言われたからです。当時は西暦2000年前後で、漫画は文学の研究対象とされていませんでした。学生を指導するために、私自身も漫画というメディアが生まれた経緯を世界的な視野から考察するようになりました。その後、東北大学の森本浩一教授とともにナラティブ・メディア研究会を主宰しました。
ナラティブ・メディア研究会では漫画、アニメ、映画、児童文学など、伝統的な文学研究の対象ではなかった物語メディアを学問的な方法論で探究しています。テプフェールがネームを描いたノートは現存していて、肉筆の草稿を調査することができます。150年前に生きた彼はどういった環境で世界を見て、ものを考えたのか。どんな紙や筆記用具を使ってアイデアを表現したのか。文学研究の面白さは過去の書き手が生きた時空間に入り、その環境や価値観に親しむことで、今、生きている自分を相対化できることだと私は思います。
この一冊
『苦海浄土』
(石牟礼道子/著 講談社文庫)
勇気を出して一度、全学部向けの文学のテキストに選んだことがあります。石牟礼の言葉を介して、水俣病患者と家族の孤独と沈黙の重み、彼らにとっての海の存在の大きさを感じました。私たちの便利な生活がどこから来たのかを考えさせられます。
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森田 直子
- 文学部フランス文学科
教授
- 文学部フランス文学科
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東京大学教養学部卒、同大学院総合文化研究科修士課程修了。パリ第7大学博士課程修了。博士(文学)。熊本大学文学部助教授、東北大学大学院情報科学研究科准教授を経て、2025年より現職。
- フランス文学科
※この記事の内容は、2025年6月時点のものです