教育格差を乗り越え、フェアな社会を目指す公教育の姿とは

総合人間科学部
教授
澤田 稔

家庭環境による教育的な不平等の解消を目指し、今後のカリキュラムや教育方法について研究を続ける総合人間科学部の澤田稔教授。学校現場に足を運んで生徒や先生の声を拾い、政策につなげることを大切にしています。

公立の学校において、生徒が抱えるバックグラウンドは多様です。なかには社会的に不利な条件を抱えている子たちもいます。病気や高齢の家族の介護をしている子、親が家にほとんどいない子、生活のためにアルバイトを掛け持ちせざるを得ない子、なかには虐待を受けている子もいます。

そんな子たちでも充実した学びを得られる、誰も取りこぼさないインクルーシブな教育とはどのようなものなのか、という視点で今後の公教育のあり方を研究しています。

上から与える学びではなく、子ども側から学びを模索

私の専門は「批判的教育学」と呼ばれる分野です。この学問は、教育をめぐるさまざまな権力関係・不平等問題に焦点化する点に特徴があり、これらに関する分析、及び社会的に不公正な教育状況への異議申し立てやその是正・変革に向けた提案を理論・実践両面で蓄積してきました。

多くの人は学校教育におけるカリキュラムや教育方法を「当たり前」として受け入れて学んでいると思うのですが、それが困難な子もいます。「まず教育課程ありき」ではなく、学ぶ子どもの側に立ってカリキュラムや学校空間を見直して行く必要があるのです。

そのために、学校現場に足を運ぶことは重要です。授業見学、先生方へのインタビューのほか、独自の取り組みをしている公立高校に調査に行くこともあります。たとえば校内に「居場所カフェ」のような空間を設ける高校があります。高校生の場合、困難を抱えた子は次第に学校に来なくなるので、出席が足りずに中退することになり、就職のチャンスも減ってしまう。カフェは、学校に来てもらう取り組みの一環なのです。

私もときにはスタッフとしてお茶を出し、生徒と話すこともあります。リラックスした環境のせいか、生徒が突然「おじさん、この傷ってなんでできたかわかる?」と、自分の話をしてくれることもありますね。「つらいのに、よく学校に来てるよ。えらいなぁ」と先生やスタッフに言葉をかけてもらえたことで、「自分はほめられることをしているのか」と初めて自覚する子も少なくありません。その小さな自信が、学びへの意欲につながることがあります。

学校が変わり、先生が変われば、子どもの人生も変わる

教育格差と言われるように「生まれた場所や家庭の収入でその子の将来はほぼ決まる」というデータ分析は非常に重要です。他方で、あくまで確率論で、運命論にすべきではありません。社会の構造がすぐに変わらなくても、学校が変わり先生が変われば、そこにいる子どもの人生も変わるのです。学校教育の中で、不平等の再生産を部分的に断ち切ることは可能です。でもそれは、学校だけでできることでもありません。

日本の教員はあまりに多忙で、事務的なサポートも少ない。日本は、最新のデータを見ても、教育支出の対GDP比が、OECD加盟及びパートナー諸国内の下位25%に入るというありさまです。教育問題は国の政策と深く結びついていますから、我々研究者は学校現場と政策をつなぐ役割も担っています。また、教員の労働環境を見直すために、さまざまなメディアを通じて発信していくことも必要です。教育現場で子ども一人ひとりの学びを支えることと、その研究成果を国の政策に少しでも反映させられるように活動していくこと、その両方が自分の仕事だと考えています。

この一冊

『カラマーゾフの兄弟』
(ドストエフスキー/著 原卓也/訳 新潮社)

高校時代に読んで衝撃を受け、大学院生時代にも読み返しました。お世辞にも読書家とは言えない私が、登場人物の系図を作りながらも必死でくらいついて読んだのは、そこに、人間とは何か、あるいは、矛盾に満ちた人間のありさまが描かれていたからだと思います。

澤田 稔

  • 総合人間科学部
    教授

名古屋大学教育学部教育学科卒、同国際開発研究科博士後期課程満期退学。修士(国際開発学)。名古屋女子大学文学部児童教育学科准教授、上智大学総合人間科学部准教授などを経て、2015年より現職。

総合人間科学部

※この記事の内容は、2022年5月時点のものです

上智大学 Sophia University