マザー・テレサが「他者のために、他者とともに」ある上智で語った言葉

上智大学にはこれまで、世界に影響を与えてきた数多くの要人たちが訪れてきました。その中でも、その歩みが多くの人の心に残る存在――マザー・テレサ。彼女は生涯で三度、本学を訪れています。

人々に寄り添い、慈しむ心を体現し続けたマザー・テレサは、学生に何を語りかけてくれたのでしょうか。

マザー・テレサの上智大学来訪

マザー・テレサは生涯で三度来日し、そのたびに本学で講演を行いました。最初の1981 年には「ビューティフルなことって何」と題した講演があり、約1,300人の学生・教職員に深い感動を残しました。続く1982年には「飢えることとは?」、1984年には「飢えと生命」をテーマに話し、豊かな日本に潜む心の飢えを鋭く指摘しました。

マザー・テレサは、路上に遺棄された人や孤児、ハンセン病患者、あるいはエイズ患者のために、インドのカルカッタ(現コルカタ)の「地上最悪の住宅環境」と呼ばれたスラム街に身を投じ、半世紀にわたって貧困や病に苦しむ人々の救済活動を行いました。この<愛>の活動は全世界に知られ、1979年にノーベル平和賞を受賞しています。マザーの死後も活動は「神の愛の宣教者会」に引き継がれ、現在でも全世界で4,500人ほどのメンバーが活動しています。

マザーはインドに派遣された当初、カルカッタの聖マリア学院という裕福な子弟の学校で地理を教え、また校長も務めました。1946年にカルカッタからダージリンに向かう汽車に乗っているとき、「最も貧しい人のために働くように」という啓示を受けました。そして1948年に教皇ピオ12世から修道院外で居住しながら働く許可をもらい(※)、単身で修道院を出ました。そのときに持っていたお金は、5ルピー(200円)だったと言われています。

最初に行ったのが、スラムの子どもたちを集めてのみすぼらしい堀建て小屋での無料授業でした。そうした活動に共鳴したかつての教え子たちが集まり、寄付金などが寄せられるようになります。1950年に最も恵まれない人たちに奉仕することを目的とした「神の愛の宣教者会」の創設がローマ教皇庁より許可されました。その活動は、食べる物も着る物もなく路上に捨てられた身寄りのない人びと、病気になっても医者にかかれない人びとに仕えることでした。この会の活動のもっとも特徴的なのが「死を待つ人の家」です。路上で蛆虫や野鼠に食べられて顔のなくなった女性に出会ったのがきっかけだったと、マザーは話しています。病院からも、道行く人々からも見捨てられて死んでいく貧しい人びとの中でも最も貧しい人。こうした人の死を見取る施設を作りました。

1981 年の講演。下はマザー・テレサの直筆

マザーは上智大学を訪れた最初の1981年に、こう語っています。

「ある夜のこと、一人の女の人は体にうじがわいていて死にかかっていました。私は彼女の体中のうじを取り、体を拭きました。拭きおわってベッドに寝かせたとき、彼女は私の手を取り、優しい微笑をたたえて、私にたった一言『ありがとう』と言って息をひきとりました」

1981年に来日したときのマザー・テレサ

マザーが受け取ったのは与えたものより多くの「神の愛」で、「これが最も貧しい人のすばらしさだ」と振り返ったうえで、さらに次の言葉を残しています。

「それはなぜだか、わかりますか。それは貧しい人、一人ひとりが神様の子どもであり、愛し、愛されるために、神さまの同じ愛する手で造られたからです」

 

マザー・テレサの講演から―「心の飢え」は豊かさのなかの貧困である―

次に、マザー・テレサが上智大学で行った講演の中から、特に印象的な言葉を紹介します。

「貧しい者は、パンに飢える人や路上生活者だけではありません。豊かさの中にあっても、愛に飢える人、社会から見捨てられる人はもっと貧しい。食べ物がないことから起こる飢えは、ある意味ではずっと取り除くのがやさしいものです。それよりももっと困難なのは、精神的な飢え、愛の渇き、心の飢えの方です。私たちは祈り、信仰を深め、キリストを愛します。それは最も貧しい人に無償の奉仕をすることです。愛は最も身近な人から始まります。まず家庭から愛の実践をしてください。苦しみ悩んでいる者に、愛が痛みとなる時まで愛してください」

「もし間違いが起きても子供の命を奪わないでください。助け合ってその子供、胎児を受け入れるようにしてください。周りの人に助けを求めて、お互いにそして神様に、また家族に、顔を向けられるようにせねばなりません。なぜなら、ひとつの過ちが新たな悪を生んではならないからです。あなたがたは、みんな若くて、未来と、新しい生活が待っています。結婚生活であれ、修道生活であれ、神さまがどのようにあなたに呼びかけようとも、汚れのない清い心、愛と喜びと平和に満ちた心を与えられるようにしてください」

1981年に来日したときのマザー・テレサ

マザー・テレサは、講演の中で物質的に豊かである日本にも精神的に飢えている人が大勢いること、その人たちの飢えに気づき、周りの者が救いの手を差し伸べなくてはならないことを伝えました。自分が誰からも必要とされていないと孤独を感じて自ら命を絶つ人や、自分の子供を中絶したり殺したりしてしまう人が当時の日本では増えていました。来日して、日本の「心の飢え」を見抜いたマザーは、未婚の母と見捨てられた子供たち、そして路上に住んでいる人々のための家を設立しました。現在では、路上に住んでいる人々のための活動を中心に続けています。

マザー・テレサは、ノーベル平和賞を受賞した折も、「私は受賞に値するような人間ではないけれど、世界の最も貧しい人びとに代わってこの賞を受けます」と語りました。そして授賞式では、いつものようにサンダルとインドの民族衣装サリーで出席し、「晩餐会もいらない」と辞退したと言われています。

国際協力の最前線に向き合う多くの教育・研究活動が、今も本学で力強く展開されています。マザー・テレサが残した「人に寄り添う」という思いが、確かに流れ続けているのでしょう。

※当時の修道女は修道会の仕事の上で必要とされる場合のほかはあまり外出することはありませんでした

上智大学 Sophia University