上智- Sapientia – ΣΟΦΙΑ- Sophia

上智大学は海外では「Sophia」(ソフィア)と親しみを込め呼ばれてきました。「上智大学」という名前の他にどうして別の呼び方があるのでしょう。「上智」とは、「Sophia」とはどんな意味なのでしょう。今回は大学名について深堀してみます。

1.大学名は「上智」だが

大学名「上智」の由来・決定プロセスを詳しく説明する文書は、ほとんど残っていません。いくつかの文書、書簡から推測するのみです。今回は、イエズス会の神父たちが記した書簡(イエズス会ローマ総本部アーカイブズ  Archivum Romanum Societatis Iesu 略称ARSI所蔵) などから、大学名について紐解いてみたいと思います。

大学を設立するために日本に派遣されたイエズス会の神父たち、ドイツ人ヨゼフ・ダールマン神父(1861-1930)、フランス人アンリー・ブシェー神父(1857-1939)、イギリス人ジェームズ・ロックリフ神父(1852-1926)は、日本での活動や生活の様子をローマのイエズス会本部(イエズス会総長)に書簡などで頻繁に報告しています。大学が設立される4年前の1909年3月に東京から送った報告書に対して、イエズス会総長から返事があり『日本で設立予定の教育機関の全体計画は承認され、それは「Sapientia」と称せられるこの学校にふさわしいものである』 という表記があり、学校が「Sapientia」(サピエンティア)という名称で呼ばれていたことがわかります。「Sapientia」はラテン語で「叡智」を意味する言葉です。

一方、同年にロックリフ神父が教育機関設立の途中経過をイエズス会本部に報告していますが、ここで初めて設立機関の日本名について触れています。『法人の設立は着々と進んでいます。十中八九は上智恵(Jô-chie)と呼ばれるでしょう。これはフランス語のsagesse d’en Haut (天井からの知恵)と同じ意味です。』 *1ここで初めて「上智恵」という日本語の表記がでてきます。しかし、1913年イエズス会総長から『私はロックリフ師によって学院につけられた名前Sedes Sapientiaに立ち帰ることを望んでいます・・・・・』という手紙も送られてきています。様々な名前の候補があがった末、この教育機関は1913年3月28日文部省の専門学校令により「私立上智大学」として認可されます。

2022年9月お披露目!正門のエンブレム。”UNIVERSITAS SEDIS SAPIENTIAE”(ラテン語)は、「上智の座の大学」を意味する。

このように、1909年から1913年までの書簡や報告書から、当時様々な国から集まった神父たちがひとつの教育機関の名称について日本語でどのように表現するか悩み、検討していた様子が読み取れます。そして、最上の「叡智」を意味する「上智」という日本語を校名に選んだのではないでしょうか。また、この「上智」という単語は、キリスト教において聖マリアの連祷の中で聖母に呼びかける「上智の座」Sedes sapientiaeと同じであるということで、カトリック教徒・信者にとってその名の意味を豊かにするものだったのかもしれません。

しかし、この学校名は文部省の認可を受けたにも関わらず、当初、アルファベットで表記すると「Jôchi」 は「Joshi」(女子)と間違えやすいとか、仏教的にも感じるなど学生から好評とは言い難かったようで、校名変更を検討する集まりも持たれたほどでした。ついには、1928年の大学令による大学として認可が下りる直前に初代ヘルマン・ホフマン学長(在任:1913-1937年)がローマのイエズス会本部へ送った手紙の中で『「昭和大学」を提案するつもりでいます。』*2と改称について言及しています。また、第二次世界大戦の頃は、文部省から他大学との合併を提案され、「上智」を廃止して「東亜大学」に改称される寸前までいきました。しかしながら、この改称問題は1948年に決着をみます。第3代土橋八千太学長(在任:1940-1946)が、『みんなが既に慣れているので改名の必要なし』と主張し、それ以降改称の問題は再燃しませんでした。

 

2.海外で親しまれる”Sophia”

日本語の「上智」について改称案が出ている中、上智大学という名前は、国外で使用するにも大変不便な名前だったようです。「Jô」という長音がありませんので、正しく発音されなかったからかもしれません。そこで1930年頃まで最も多く用いられていたのは”The Catholic University of Japan”でした。*3

そのような中、1924年からギリシア語を教えていたヨゼフ・エイレンボス神父(1886-1978)が学生に、「上智」とはギリシア語で「ソフィア ΣΟΦΙΑ」であると教えると学生たちはこの名称を校名につけて欲しいと要求したそうです。ホフマン学長は、当初反対していたようですが、それも長くは続かず、1925年、ローマに宛てた手紙で「われわれは上智という漢字に片仮名でソフィアとルビを振ることに決めました」*4と書いています。

1926年に発行された学友会雑誌(左)と翌年発行の第2号(右)
1935年の大学案内

1926年には、教職員・学生の親睦団体である学友会が雑誌を発行していますが、その創刊号のタイトルは漢字で「s」と表記され、第2号(1927年発行)では”SOPHIA”となりました。そして1932年に竣工した1号館校舎の玄関上には当時、大文字で“SOPHIA UNIVERSITY”と掲げられました。1935年以降は大学案内などのパンフレット類にも「上智大学」と“SOPHIA UNIVERSITY”が併記されるようになってゆきました。

また1938年創刊の海外向け学術雑誌『MONUMENTA  NIPPONICA』(モニュメンタ・ニポニカ)でも“SOPHIA  UNIVERSITY”と紹介され、「ソフィア」という名称は国内外へと浸透していったのです。

参考文献: 上智大学史資料集第2集/上智大学史資料集編纂委員会編集 1982年6月30日発行 上智大学発行

*1 Archivum Romanum Societatis Iesu (ARSI):イエズス会ローマ総本部アーカイブズ文書番号Jap.1001-VIII_006
*2 Archivum Romanum Societatis Iesu (ARSI):イエズス会ローマ総本部アーカイブズ文書番号Jap.1004-VI_005
*3 1947年以降、日本国内にカトリックの大学がいくつも新設されたために、このカトリックという表記を独占した言い方は使用するのをやめました。
*4  Archivum Romanum Societatis Iesu (ARSI):イエズス会ローマ総本部アーカイブズ文書番号Jap.1004-VI_005

上智大学 Sophia University