難民児童への補習教育プログラムは継続的な学習の実現に役立つことを明らかにしました

「人間の安全保障」への教育の影響を検証

【本研究の要点】

  • シリア難民の児童に対する教育支援を目的とした補習教育プログラムの効果を検証。
  • 受け入れ国の児童と共にディスカッションなどを中心とした双方向的な学習を経験し、交流した児童の学習意欲や学力が向上。
  • 教育を受けることが困難な難民児童に対する、長期的かつ継続的なサポート体制を構築する指針となる成果。

【研究の概要】

上智大学総合人間科学部教育学科の小松太郎教授らは、シリア内戦で発生した難民およびその受け入れ国であるヨルダンの児童を対象として、国際協力NGOワールド・ビジョンが実施した補習教育事業(remedial educationプログラム。以下「REプログラム」)の影響について調査を行いました。その結果、安全な環境下で行われる双方向的な学習を通して、対象者の学力や学習意欲が向上し、また難民と受け入れ国双方の児童のコミュニケーションが促進され得ることがわかりました。

難民にとって、教育は、紛争の勃発や激化の予防、また将来の復興や発展の基盤となることから「未来へのはしご」とも呼ばれ、生活における最優先事項のひとつです。しかし、難民の子ども、特に低学力の児童の就学は、紛争のみならず家庭の困窮、受け入れ国の地元住民との関係などの影響を受けます。そのため、一般に難民の子どもが避難先の国々で教育を継続することは困難とされます。

REプログラムは、国際連合が提唱する人間の安全保障の考え方に基づき、脆弱な立場にある人々の保護とエンパワメントに対する、教育の可能性を提唱しています。同プログラムの対象であるシリア難民および受け入れ国であるヨルダンの子どもたちには、それぞれの学習段階やニーズに応じた補習教育が提供されました。また、プログラム実施にあたっては難民児童に対する適切な心理社会的サポートを含む配慮が行われました。

アンケートとグループインタビューを通じた調査の結果、REプログラムのもとで受け入れ国の児童と共に学び交流した難民児童では、学校での心理的な安全性が確保され、かつ受け入れ国の児童とのコミュニケーションが促進されることがわかりました。また、学校での成績や学習意欲について明らかな向上が認められました。一方で、難民の学習継続のためには、ホスト国の社会からの理解と協力だけでなく、補習教育の継続的な実施のために、緊急事態の初期段階からの一層のアドボカシーと、関係部署との連携が必要であることが示唆されました。

本研究は、難民のなかでも特に弱い立場に置かれる児童に対する、長期的かつ適切なサポートを実施するための貴重な資料です。論文では、人間の安全保障に基づく「脆弱な立場にある難民の子どもへの教育支援」の枠組みを提示しています。教育支援の枠組みと、実際の支援の効果分析を行いその結果と教訓を示したことにより、将来的には、ホスト国における就学に困難を抱える難民児童が、より就学を継続しやすくなり、より多くの人生の選択肢をもつことに貢献できる可能性があります。

本研究成果は、2023年11月21日に国際学術誌「International Journal of Comparative Education and Development」にオンライン掲載されました。

【研究の背景】

教育はすべての人間にとっての基本的な権利のひとつですが、紛争などにより母国を追われた難民の児童にとって、その機会を得るのは困難です。難民児童の教育の機会を確保するためには持続的な教育インフラと体系的な支援が必要ですが、一般に難民のホスト国はその支援を達成できるだけの十分な資源を有していないのが現状です。また、難民は教育環境が整っていない地域に集中して居住していることが多く、ホスト国の社会において差別などの影響を受けやすいことも指摘されています。加えて、紛争の影響を受けている社会では、教育プログラムが実施されている現場や、それらに基づくデータにアクセスすることが困難です。そのため、緊急事態などにより不安定化した社会における教育に関するデータの体系的な収集・分析は、これまであまり行われてきませんでした。

こうした状況のなか、難民教育の確保を考える際に注目されているのが「人間の安全保障」です。人間の安全保障とは、安全保障の対象を国家から人間に移す考え方であり、個々人の価値観や生存戦略を選択する自由が原則となっています。その目標にはモノやサービスの提供だけでなく、一人一人の能力を高めることも含まれ、したがって質の高い基礎教育が必要とされます。

本論文の著者である小松教授らは、紛争の影響下における教育についての研究や実務に長年携わってきました。ヨルダンにおけるシリア難民の児童に対する教育支援事業評価を行うなかで、国家の庇護を十分に受けられない難民の就学継続の課題を認識しました。人間の学びが定着するには、学習の継続が不可欠です。また難民への教育支援は、将来的な自立を見据えた長期的な観点も欠かせません。彼らの尊厳ある生存・生活を実現するため「人間の安全保障」の考え方を用いて難民教育の意義や重視すべき内容を示すことができないかと考えたのが、本研究のきっかけとなりました。

【研究結果の詳細】

REプログラムは、2014年から2021年の7年間にわたり、シリア難民と受け入れ国のヨルダン両国の低学力の児童を対象として実施されました。このプログラムは、困難な環境のもとで児童が学習継続を可能にするために、学力とレジリエンスを養うことを主目的としていました。このプログラムでは安全な学習環境を提供することに重点を置き、プログラムに参加する教員に対しては、子どもに配慮した学級運営と、体罰を用いないしつけ、ストレスを経験した子どもへの心理社会的サポートに関する研修が行われました。加えて、異なる国籍の児童間でのコミュニケーションと文化的な共通点についての話し合いを促すような指導も行われました。

REプログラムでは、通常の授業の前後もしくは休み時間を使ってのアラビア語、英語、数学の補習授業が行われました。1クラスは最大12人で構成され、ディスカッションやブレーンストーミングなどの双方向的な学習方法が採用されました。そのほか、レクリエーションや校外学習など、児童のストレスを軽減し、児童間での信頼関係の醸成を目的とした活動も行われました。

プログラム終了後のアンケートでは、回答者の77.5%が「補習授業に参加する前と比べて、学校でリラックスできるようになった」という記述に対して、「強く同意する」もしくは「同意する」と回答し、補習授業が学校での心理的安全性の確保に役立ったことが示唆されました。 また、参加者の66.2%が 「他の国籍の友人をもつことに積極的である」と回答したことから、一連のプログラムが難民と受け入れ国の児童との相互理解にも資する可能性が示されました。 また、ヨルダンの教師からも「(彼らを教えることで)シリア人の苦境に対

する思いやりと共感が深まった」などの回答も寄せられ、ヨルダンの教師が直接難民と接することでシリアの子どもたちに共感し、安全で協力的な学習環境を強化している可能性も示唆されました。

学力や学習意欲の面でも、プログラムの有益な影響が確認されました。プログラムに参加した生徒は、3つの教科すべての年間試験の成績において、年々改善傾向を示しました。またプログラム参加後の学習意欲も、はるかに高まる傾向が示されました。このことから、アクティブ・ラーニングにより、子どもたちのやる気と自信が高まり、持続的な学習にとってREプログラムが重要な役割を果たしたことが考えられます。

シリア難民の児童が、受け入れ国であるヨルダンにいつまで滞在できるかは不透明です。一方で、REプログラムと並行して行われたグループインタビューでは、多くの難民児童がヨルダンで教育を受け続けることを希望しました。ワールド・ビジョンは、REプログラムの教師の経験をもとに「補習授業教員ハンドブック」を制作して現地の関係者と共有し、公立校教員に対する研修を行いました。これらの試みは、紛争の長期化を含めたあらゆる状況においても、教育の質を担保し、継続した児童の学力向上や学習意欲を保つことを目指しています。このように、難民の学習継続のためには、人道支援機関が長期的なビジョンのもとで教育支援に関与する必要があります。

【論文名および著者】

媒体名:International Journal of Comparative Education and Development
論文名:Remedial education program for Syrian refugees: ensuring their learning during a protracted crisis
オンライン版URL:https://doi.org/10.1108/IJCED-02-2023-0008
著者(共著):Taro Komatsu, Kaoru Ghalawinji-Yamamoto, Yukari Iwama, Sayo Hattori

【本リリース内容に関するお問い合わせ先】

上智大学 総合人間科学部 教育学科
教授 小松 太郎 (E-mail:t.komatsu@sophia.ac.jp)


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