著名哲学者の思想と生涯を新たな側面から解明しうる第一級の資料
【本研究の要点】
- 大正期~昭和前期の哲学者である九鬼周造、岩下壮一、田辺元らの自筆書簡200点以上を新たに発見
- 東京藝術大学初代学長を務めた上野直昭に哲学者たちが送った書簡
- 日本哲学史・文化史および関連分野に関する研究への寄与が期待
【研究の概要】
上智大学(東京都千代田区、学長:曄道 佳明)の川口 茂雄准教授(文学部哲学科)、堤田 泰成研究員(文学部科研リサーチフェロー)、胡 婧特別研究員(文学研究科特別研究員)の研究グループは、東京藝術大学美術学部の近現代美術史・大学史研究センター(GACMA 所在地:東京都台東区)が所蔵する資料「上野直昭関係資料」から、九鬼周造、岩下壮一、田辺元など近代日本を代表する哲学者たちが大正期~昭和前半期に記した直筆の書簡群を発見しました。今回発見された書簡は、哲学者たちが東京藝術大学初代学長を務めた上野直昭に宛てたもので、計200点以上におよびます。いずれもその存在自体がこれまで知られていなかったと考えられる資料となります。
これらの書簡群は、近代日本の代表的な哲学者たちの思想と生涯を、新たな側面から解明しうる第一級の資料と評価できるものです。今後、研究グループは書簡資料のさらなる解読を進め、関連する日記類・ノート類についても可能な調査をおこなったうえで、東京藝術大学美術学部近現代美術史・大学史研究センターとの連携のもと、資料内容の研究およびその出版公開などを推進していく予定です。
本研究成果の詳細は、2024年3月に『哲学科紀要』紙媒体にて掲載刊行され、上智大学学術情報リポジトリ(Sophia-R)にてオンライン公開されています。
【研究の背景】
上野直昭(うえの・なおてる 1882-1973)は、美学・日本美術史の研究者で、大阪市立美術館館長、旧制東京美術学校の最後の校長、新制東京藝術大学の初代学長、愛知県立芸術大学の初代学長などを務めた人物です。現在のように各学問が細分化していなかった時代に、哲学・心理学・芸術学などの分野にまたがって活動した上野は、出版人・岩波茂雄の親友の一人でもあり、岩波書店の出版事業草創期において企画や編集に参画するなど、20世紀前半日本の思想史・文化史・出版メディア史にさまざまな側面から独自のかかわりをもっていました。
2010年代後半になって、日記・ノート・書簡などを含む上野直昭関係の多数の資料が、親族の申し出によって東京藝術大学美術学部に寄贈されました。しかしながら、その膨大な分量と、多岐多分野にわたる内容、くわえて古い手書き資料である性質上、解読が容易でない場合が多いことから、個別の資料の詳細についての調査は網羅的には行われてきませんでした。今回、川口准教授の研究グループは、「上野直昭関係資料」の書簡類カテゴリーのうち、主に哲学者が差出人である書簡群について調査を実施し、近代に活躍した哲学者からの書簡の存在を実物にあたって確認しました。この作業を通して、「上野直昭関係資料」が哲学史研究の分野にとっての重要資料であることが判明しました。
【論文名および著者】
- 媒体名
『哲学科紀要』 第50号
- 論文名
九鬼周造、岩下壮一、田辺元など哲学者たちの大正~昭和前半期の書簡発見について
-東京芸術大学美術学部所蔵の上野直昭関係資料の調査から
- 著者(共著)
川口 茂雄(上智大学文学部哲学科 准教授)、堤田 泰成(上智大学文学部科研リサーチフェロー)、胡 婧(上智大学文学研究科特別研究員)
【参考】
九鬼周造(くき・しゅうぞう 1888-1941)
東京都出身の哲学者。東京帝国大学哲学科卒。ドイツ、フランスに留学後、京都帝国大学教授を務めた。文芸の哲学的解明に努め、日本固有の精神構造あるいは美意識を分析した。著書に「『いき』の構造」「文芸論」「偶然性の問題」などがある。
岩下壮一(いわした・そういち 1889-1940)
東京都出身のカトリック司祭。東京帝国大学哲学科卒。ギリシャ哲学、中世哲学の研究を志してパリ、ロンドン、ローマなどへ留学するが、聖職者となり帰国。静岡県神山復生病院院長としてハンセン病事業に献身し、出版活動を通してカトリック思想の啓蒙に尽力した。
田辺元(たなべ・はじめ 1885-1962)
東京都出身の哲学者。東京帝国大学哲学科卒。ドイツへの留学後、歴史や文化、社会へと考察を進める。マルクス主義等との対決を通し独自の「絶対弁証法」を構想。日本近代思想史を代表する「京都学派」の基礎を築く。
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