16世紀スペインを通して、現代とは異なる国家の姿を知る

現代を生きる私たちが考える国家と、500年前の国家はどう違うのか。当時の国王は、どのようにして広大な国家を治めていのか。外国語学部の内村俊太教授が感じる、近世スペインにおける国家や国王に関する最新の知見にまつわる歴史研究の醍醐味とは。

私の専門は16世紀スペイン史、なかでも当時の国家制度の研究を専門としています。近世ヨーロッパは「主権国家がつくられた時代」と言われます。

中世の時代に誕生した小さな王国が、戦争を重ねるなかでスペインやイギリスといった一つの国家となり、絶対王政の時代が到来した――。学校でそう習った人も多いと思います。しかし当時の国王は、国全体を掌握して絶対的な権力をふるったわけではありません。現代のような国家機構が生まれたのは、ここ200年程度のことなのです。

電話もテレビもネットもない時代、国王は大変だった

当時のヨーロッパは小さな国同士の戦争が頻繁に起きましたが、武力で敵国を倒して征服するわけではありません。和平条約が結ばれ、王家が婚姻関係を結ぶことで戦争が終わる形がしばしばとられました。

戦争を繰り返すたびに血縁関係も増えるので、A国の王家が途絶えるとB国の王がA国の王も兼任するようになります。しかしA国の貴族や大商人はそのまま実権を持ち続けるので、一つの国のなかに小さな国がいくつも存在するような状態になっていたのです。国王はそのバランスをとりつつ統治していました。

スペインも同じです。16世紀に統一国家が完成したものの、小さな国は残ったままでした。しかも婚姻関係の結果、ハプスブルク家のカルロス1世がスペインを治めることになりました。彼が生まれ育ったのはネーデルラント(現在のベネルクス3国に相当)。スペイン語も知らない王でしたが、領土内の小さな国を回り、地元の有力者と直接会ってコミュニケーションをとり続けました。領土が広くなると戦争や反乱の可能性も高まりますし、いざとなれば出兵してもらう必要もあります。計算すると4日に1日の割合で移動したそうです。国王はなかなか大変だったのです。

17世紀にはフランスのルイ14世がヴェルサイユ宮殿に拠点を置き、文書で指示するようになりますが、それに先立つ16世紀後半に、カルロス1世の息子のフェリペ2世もマドリードの王宮から文書で指示を出すようになります。これが各地で強烈な反発を生み、17世紀にはスペイン各地で反乱がおきる要因にもなりました。このように国家体制は時代とともに変化し、決して現代的な尺度だけで判断できないことがわかると思います。

地道に資料と向き合う歴史研究の過程に、思いがけない発見がある

私はもう一つ、スペインのトレドという古都の16世紀の歴史についても調べています。当時の日常生活に関する文書は非常に少なく、似たような会議の議事録をめくり続けるような地道な作業を続けています。

しかし、その過程で「これは!」という発見をすることもあるのです。例えば、当時のトレドで信仰されていた聖女に関する聖遺物がベルギーで見つかり、フェリペ2世のはからいでトレドに返還された、という史実に関連する記録を見つけました。トレドという地方の町の要望に、国王が尽力してくれたわけです。前述したように、国王にとって地方の有力者の要望を聞くことが重要だった、そのことを具体的に示すエピソードだと思います。

このようにローカルな都市史と国家制度史の研究がふいに結びつく瞬間も、私にとっての歴史研究の醍醐味なのです。

この一冊

『太陽と月の大地』
(コンチャ・ロペス=ナルバエス/著 宇野和美/訳 福音館書店)

16世紀、レコンキスタ(国土回復運動)後のスペインにはキリスト教に改宗を迫られたイスラム教徒が大勢いました。彼らの悲劇を描いた児童文学です。歴史に存在した名もなき人に思いを寄せるため、定期的に読み返す一冊です。

内村 俊太

  • 外国語学部イスパニア語学科 
    教授

島根大学法文学部卒業。同人文社会科学研究科修士課程修了。東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。上智大学外国語学部助教、同准教授をへて現職。

イスパニア語学科

※この記事の内容は、2023年9月時点のものです

上智大学 Sophia University