独特の文字を持ち、一つの意味の単語が何通りにも形が変化するロシア語の中でも、とくに複雑とされるのが動詞の使い方です。その分析研究を行う外国語学部の阿出川修嘉准教授が、言語学の観点からロシア語の独自性と研究の意義について語ります。
私の専門は言語学です。なかでもロシア語の動詞の意味や使い方を中心に研究しています。とくに注目しているのは、「完了しているか」「完了していないか」という意味の違いを表す「体(たい)」の区別です。
英語で進行形や完了形を表現する場合、動詞の語尾にingをつけたり、過去分詞にしたりします。日本語だと「○○しているところだ」「〇〇し終えた」など、動詞に別の言葉を添えます。しかしロシア語の場合、「食べている」と「食べ終わった」とでは動詞そのものが違うのです。一つの動詞の意味に対して「不完了体」と「完了体」という二つの形が用意されている、ということです。
どちらを使うかは、文を作る段階、動詞を使う時点で決めなくてはいけません。場面ごとに選ぶだけでなく、前後に使われる言葉の影響も受けるので、非常に複雑です。「こういう場合にはこっちを選ぶ」と理論化を進めること、それが私の研究の柱です。
何千ものロシア語の文を集め、文法パターンを分析する
研究手法の一つは、何千というロシア語の文を集めて、どんなときに完了体、もしくは不完了体が使われているのかを分類していく方法です。手作業も伴う地道な仕事ですが、これによって動詞の体(たい)の選択傾向が明確になります。
もう一つは、ロシア語の母語話者の協力を得て「こういう表現のときに、この動詞を使うとどういう意味、ニュアンスになるか」を確認しつつ、使われ方を記録していく手法です。母語話者にとっては自然な表現であっても、理論的に十分解明されていないことも多くあるのです。
例えば私たちは「この部屋、寒いね」という表現に「暖房をつけて」などの意味を持たせて使うことがあります。ロシア語の場合、何かを依頼するときに動詞の完了体を使うか不完了体を使うかでニュアンスが変わる場合があります。そうしたニュアンスについても調べ、理論化を目指しています。
言葉が違えば見方も変わるという違いを理解するのが言語学
ロシア語という言語を外国語として学ぶ人にとって、動詞の体の選択は難しいものです。にもかかわらず、このテーマはロシア語研究者の中でも専門にする人がとりわけ日本では少ない分野です。「こういう場面ではこちらを使う」ということがより分かりやすい形で説明できれば、ロシア語学習のハードルは下がるはず。言語学を純粋に突き詰めて理論化する魅力もありますが、研究を教育に還元することは非常に大切だと思っています。
私はロシア語の母語話者ではありませんが、だからこその気づきがあります。たとえば私たち日本語を母語とする人であれば、「は」と「が」を自然に使い分けますね。でも外国人にとって「ここは東京です」と「ここが東京です」の違いは分かりにくく、理屈で説明してほしいと思うでしょう。ロシア語の動詞の「体」の使い方についても同じようなものなのです。
言語学に取り組んで思うことは、言葉によってものの見え方や捉え方、感じ方が違うということです。動詞を研究すると、ロシア語での動作の捉え方・その表現の仕方と日本語での捉え方・表し方には、違いもあるけれど共通する部分もあることに気づきます。そうしたことはほかの言語と比べてみたときにも見つかるかもしれない。言葉を学ぶことは、人間のものの見方や感じ方に迫ることでもあります。言葉を研究する学問である言語学に触れることで、お互いの違いを認め、尊重する姿勢が常に求められると実感しています。
この一冊
『日本語と外国語』
(鈴木孝夫/著 岩波新書)
外国語のフィルターを通すことで、見えてくる世界がガラリと変わることを教えてくれた本です。蝶と蛾の区別、色の表現など、言語による事物の捉え方の違いのおもしろさがたくさんの実例で紹介されています。外国語に興味のある人すべてにおすすめです。
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阿出川 修嘉
- 外国語学部ロシア語学科
准教授
- 外国語学部ロシア語学科
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東京外国語大学外国語学部ロシア・東欧課程(ロシア語専攻)卒、同大学院博士前期課程(ヨーロッパ第三専攻)修了、同大学院博士後期課程(地域文化専攻)修了。博士(学術)。東京外国語大学、神奈川大学などで非常勤講師として勤め、上智大学外国語学部助教を経て、2023年度より現職。
- ロシア語学科
※この記事の内容は、2023年7月時点のものです