日本中世史を学ぶことは、文化の異なる国に旅することと似ている

文学部史学科
教授 
中澤 克昭

日本の中世の歴史を専門にしている文学部の中澤克昭教授。身分の高い人たちの間でタブーとされていた肉食の実態や、神社・仏閣に構築されていたという各地の城の話まで、「異文化」と言われる中世の文化の魅力を語っています。

私の専門は日本の中世、平安時代末期から戦国時代の歴史です。力を入れているテーマのひとつが狩猟文化史で、当時の人々が狩猟や肉食をどう捉えていたかを研究しています。仏教の影響で平安時代から肉食のタブーが強まりましたが、史料を調べると実際にはかなり肉を食べていたことがわかります。タブーが強まる中で狩猟や肉食を実践するのですから、そこにはたいへんな葛藤がありました。タブーの強弱や葛藤の有無を探ることで、社会の構造の一部が見えてきます。

例えば、藤原道長の日記『御堂関白記』には、晩年、病気で目も見えなくなってきた道長が、医師から「鳥や魚を食べるように」と言われ、「お経を読み、仏像を拝むために(見える目が必要なので)、薬として鳥や魚を食べた」ことが記されています。肉は栄養があると分かっている。しかし、道長のような貴族は、通常の食事では肉を食べておらず、薬として食べていました。中世にしばしば見られる「薬食(くすりぐい)」です。

中世はまだ知られていない魅力的な文化に満ちている

鎌倉時代、後鳥羽上皇はみずから馬に乗って盛んに鹿狩をしました。貴族たちは狩猟や肉食を避けるようになっていたので、驚くべきことです。一方、関東の武士たちの多くは狩猟の達人で、肉食のタブーはほとんどありませんでした。源頼朝が富士山麓で行った「富士の巻狩り」は、武士の政権ができあがったことを示す一大イベントだったのですが、後鳥羽上皇はそれを強く意識して、狩猟を実践するようになったと考えられます。

中世には「薬食」や上皇の鹿狩のように、現在の私たちの眼には奇異に映る文化が少なくありません。それらは、いわば「異文化」です。歴史を学ぶ意義としてよく耳にするのは、過去の失敗を知って教訓として活かすため、あるいは、現代社会ができたプロセスを知るため、といったことだと思いますが、中世について学ぶことは、現代とは異質な「異文化」を知ることなのです。

中世の城が聖地に構築された理由は?

私が取り組んでいるもうひとつのテーマは城です。城は軍事の拠点ですが、中世には神社や寺、いわゆる聖地に構えられた城が多い。城と信仰の場が重なっているのは、軍事も神仏と密接不可分だった中世ならではの現象と言えるでしょう。聖なる山に築かれ、城内で神仏を祀り続けていた城は各地にありました。織田信長の城もそうです。小牧山は観音霊場でしたし、岐阜城も古来信仰の対象となっていた山で、信長は岐阜城の最高所に「権現」すなわち神を祀っていました。こうした城のあり方は、政治や経済にも神仏との関係がみられる中世社会について考える手がかりになるはずです。

私は学生時代に歴史学者の網野善彦さんの著書などを読み、「異文化」と言うべき中世の一面を知り、中世史に興味を持ちました。中世を学ぶことは、外国に旅をすることと、どこか似ているように思います。「異文化」を知ると、自分が当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではないことに気付かされます。中世の歴史を探り、現在につながる部分と、そうでない部分を捉える。すると現在の世の中を客観的に考えられるようになる。それが、日本中世史研究の魅力です。高校生のみなさんにも、その魅力を知ってほしいと思います。

この一冊

『日本の歴史をよみなおす(全)』
(網野善彦/著 ちくま学芸文庫)

「日本は農業中心の社会だった」といった一般にイメージされてきたことを、日本中世史を専門とする歴史学者が新しい視点で、次々と覆していく本。高校生でも読みやすく書かれた名著を文庫化したもので、中世史研究の魅力がわかる入門書としておすすめです。

中澤 克昭

  • 文学部史学科
    教授 

青山学院大学大学院文学研究科博士後期課程退学。博士(歴史学)。日本学術振興会特別研究員、長野工業高等専門学校准教授、上智大学文学部准教授などを経て、2017年より現職。

史学科

※この記事の内容は、2022年8月時点のものです

上智大学 Sophia University