時代を超えて残る「マリアの音楽」から西洋中世を再発見する

文学部史学科
准教授 
山本 成生

西洋の音楽はもともと、キリスト教の祈りの言葉にメロディがつくことで広がりました。なかでも一大ブームとなった「アヴェ・マリア」について、ヨーロッパ中世の音楽を専門とする文学部の山本成生准教授が語ります。

私は主にヨーロッパ中世における音楽のあり方について研究しています。現在私たちが耳にする音楽は、西洋音楽の作曲技法によってつくられているものがほとんどです。例えば、音符などの記号を5本の線の上に並べて音の高低や長さを記すという五線譜記法がありますが、これも中世ヨーロッパの発明なのです。

人々のイマジネーションで豊かに広がる「アヴェ・マリア」の祈り

最近私が注目しているのは「アヴェ・マリア」です。アヴェ・マリアとは、聖母マリアを対象にした祈りの言葉ですが、そこにメロディがつき、楽曲としても広がっています。アヴェとは「こんにちは」「おめでとう」を意味する言葉で、マリアがキリストを受胎したときの祝福の言葉として聖書に記されています。中世になると、そこに「我らのために祈り給え」などの言葉が加わり、ご利益やコミュニケーションを求めるようになったのです。

アヴェ・マリアは祈祷文、つまり定型化された祈りの文言なので、本来は勝手にアレンジしてはいけないものです。しかし、不思議なことにアヴェ・マリアには、歌詞と旋律にさまざまなバリエーションが許容されていたのです。よって人々はイマジネーションを膨らませ、自由に言葉を変え、音楽に乗せてアヴェ・マリアを唱えることができました。その結果、修道院から都市や農村に広がっていき、中世の人々の日々の祈りに欠かせないものになっていったのです。

当時は朝に150回、昼に150回と、日に何度もアヴェ・マリアを唱える習慣がありました。ロザリオという十字架に数珠のような玉がいくつもついている装身具がありますが、それは玉を手繰ることで何回唱えたかカウントするためにつくられたものです。聖母マリアを主題にする音楽は、ほかにも各地でつくられ今に至ります。西洋中世の人々はそうした「マリアの音楽」に包まれ、この聖人と交信しながら日々の生活を送っていたのです。

中世の音楽から「この音が伝えたいメッセージ」を感じ取る

私のような中世音楽の研究者は多くありませんが、中世ヨーロッパでマリアは広く信仰され、絵や彫刻、建築や文学などさまざまな分野で表現されてきました。従来のヨーロッパ中世史研究に「マリアの音楽」という観点が加わることで、従来とは異なる中世史の姿が浮かび上がってくるのではないかと考えているのです。

中世の音楽を研究して思うのは、当時の音楽と現代の音楽では役割が違うということです。近世以降、技術の発達により、私たちは視覚で物事を捉えることが非常に多くなりました。文字、数、地図、時間などは、目で確認します。音楽も楽譜を見ながら演奏します。現代は視覚重視の社会といえるでしょう。

一方、中世は五感すべてが重要とされる時代でした。音楽は娯楽ではなく、情報を伝えるツールとして、大事な言葉は長く伸ばし、つらい出来事を表現するときには音を下げる。現代の感覚ではつまらないメロディに思えても、理屈が分かると非常に興味深いものです。

歴史を学ぶとは、当時の人の心を理解するということでもあります。残された楽譜を見ながら、言葉に添えられた記号を見ながら、中世ヨーロッパの音楽の世界を体感しています。

この一冊

『数量化革命』
(アルフレッド・W・クロスビー/著 小澤千重子/訳 紀伊国屋書店)

大航海時代以降ヨーロッパの価値観が世界を支配できたのは、中世に時計やアラビア数字、正確な地図などが生んだ「数量化革命」のおかげだと筆者は言います。大きな問いを立てて世界史を見ていくユニークで興味深い一冊です。

山本 成生

  • 文学部史学科
    准教授

学習院大学文学部史学科卒。トゥール大学ルネサンス高等研究センター修士課程修了。東京大学大学院人文社会系研究科欧米系文化研究専攻西洋史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。昭和女子大学准教授を経て、2022年より現職。

史学科

※この記事の内容は、2023年7月時点のものです

上智大学 Sophia University