文学部の柴野京子教授の専門は、出版を中心とした近現代のメディア研究。技術、産業、流通、文化といった幅広い切り口から、メディアの環境と、それが人や社会にもたらす「経験」について考察を続けています。
書物が社会の中でどのように配置され、それを通して私たちは何を経験しているのか。単純なコンテンツ研究ではなく、書物を流通の仕組みを含めたメディアとして捉えることで、その問いを明らかにする研究を行っています。
15世紀半ばにグーテンベルクが発明した活版印刷術は、書物の複製を可能にして知を普及させました。同じ書物を多くの人が手にするようになったことで知識の改定が行われ、稀少な書物を保有する知の基盤だった大学の役割も変化しました。また、活版印刷術の普及は印刷用文字の規格化が進むなど、世の中にさまざまな影響を与えました。
こうしたテクノロジーによるシステマティックな知を取り巻く環境の変化は、インターネットを介して書物のデータベースが開放された現代社会でも起きています。たとえば検索エンジンを使って簡単に欲しい本を見つけられることが、現代の知識基盤にどのような変化をもたらしているのか。メディアを通じて社会の姿について考えることを基本的な研究テーマとしています。
過去の経験を知ることから自由な発想が生まれる
社会の姿を考えるとき、大切にしているのは「過去の経験」というアプローチです。なぜなら現在や未来を知るうえで、歴史は経験的な見本となるからです。
例えばヨーロッパをはじめ海外諸国では、時間をかけて読み継がれていく書籍と、旬の情報をタイムリーに発信していく雑誌では、それぞれ別の経路で流通しているのが一般的です。それに対して日本の出版業界は、出版社と書店の間に取次店という問屋を介在させ、書籍と雑誌を一つの流通に乗せる独自のシステムを発達させてきました。その歴史を遡ることで、システムが育まれた社会背景や産業構造とともに、私たちの「読書」がどのように構築されたのかが見えてきます。
けれどもインターネットやスマートフォンの普及によって雑誌の市場規模が縮小するなか、こうした日本型のシステムはうまく機能しなくなっています。私は出版界が直面している課題の解決には、過去を知ることが役立つのではないかと考えています。かつての日本では書店に新刊と古本が一緒に並び、生活用品店で雑誌が販売されるなど、より自由な流通スタイルが浸透していました。目の前にある慣習にとらわれずに、歴史という視点を取り入れ未来を展望することで知の基盤である書物の流通環境を整え、知の多様性を担保していきたい。そんな思いが研究へのモチベーションになっています。
デジタルアーカイブが過去への扉を開く
過去に遡る有効なコンテンツの一つにデジタルアーカイブがあります。ここ数年で書物や映像などさまざまな知のデジタル化が進められ、共有・活用に向けた気運が高まっています。なかでも教育への活用には大きな可能性を感じており、担当する授業やゼミの研究活動では映像を含め、多様なデジタルアーカイブを教材として実験的に活用しています。歴史を通して新たな気づきを得るという体験は、手軽にタイムリーな情報を得ることに慣れた学生にとって、主体的に知の扉を開くきっかけになり得ると手応えを感じています。
そのデジタルアーカイブも、単なる情報の集積として埋もれさせてしまっては、元も子もありません。書物によってつくられてきた社会の知は、デジタルにおいてどのように経験されていくのか。実践を通して、注意深く観察していきたいと思っています。
この一冊
『遅読のすすめ』
(山村修/著 ちくま文庫)
青山学院大学の司書をしていた書評家の読書論です。膨大な情報に囲まれ、効率よくタスクをこなすことが求められる時代に、あえて時間をかけて一冊の本を読み進める価値や喜びを教えてくれる一冊です。
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柴野 京子
- 文学部新聞学科
教授
- 文学部新聞学科
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早稲田大学第一文学部卒。出版取次会社勤務ののち、東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。東京大学大学院特任助教、上智大学文学部新聞学科助教、准教授などを経て、2022年より現職。
- 新聞学科
※この記事の内容は、2023年7月時点のものです