人種差別のない社会を求めて声を上げたのは、アメリカ合衆国の黒人だけではありませんでした。南米ブラジルとアフリカのポルトガル語圏の黒人たちの知られざるつながりについて、外国語学部の矢澤達宏教授が語ります。
私の研究テーマは二つあります。一つは、ブラジルの黒人の歴史と人種間の関係について。もう一つはサハラ以南のアフリカ、とくにモザンビークなど、かつてポルトガル領だった国々の政治史です。一見すると別個のテーマに思えるかもしれませんが、二つの研究の根はつながっているのです。
ブラジルの黒人は、奴隷としてアフリカから運ばれてきた人たちの子孫です。その数はラテンアメリカでは最大規模で、文化的にもアフリカの影響を色濃く受け継いでいます。彼らはどのようなまなざしで父祖の地アフリカを見てきたのか。それが私の研究のスタート地点でした。
100年前、ブラジルの「黒人新聞」にアフリカからの投書が
第二次世界大戦後の20年ほどで、アフリカの多くの国が植民地支配からの独立を果たしました。そこに至る独立運動の過程に、大西洋を隔てたアメリカ合衆国の黒人運動家が関わっていたという事実がありました。さらに、アフリカ諸国が独立すると、黒人が国家を代表して国際社会の舞台で活躍するようになり、アメリカの黒人たちもその姿に鼓舞されました。それが公民権運動を後押ししたのです。
同じように、大西洋を越えた関わりがブラジルにもあったのではないか。そう考えて、私は当時の資料を調べました。例えば20世紀前半、ブラジルでは黒人差別への抗議活動の一環として「黒人新聞」が発行されていました。そこにはアフリカのモザンビークから、黒人の地位向上を求める同じ立場からブラジル黒人運動への関心と共感を示す投書が掲載されています。どのようなかたちでブラジルの黒人運動のニュースがアフリカに伝わったのかは不明です。それでも100年前、アフリカ大陸と南米大陸で同じポルトガル語を話す黒人同士、理想を共有し合っていたことは事実だったのです。
いまなお残る、ブラジルに人種差別はないという神話の影響
1970年代、周囲の国々に遅れてモザンビークやアンゴラなど、旧ポルトガル領植民地も独立を果たしました。当時、ブラジルは軍事独裁政権下。差別反対、人権尊重を声高く要求することが難しい時代でしたが、そのなかでも果敢に声を上げた黒人の中には、ポルトガル語圏アフリカ諸国の独立に鼓舞された人も多かったようです。立場が違い、遠く離れた国であっても、黒人の人々が直面する普遍的な問題が存在するのだと実感しました。
人種問題の研究は多く存在しますが、ブラジルの人種問題に関する研究は軍政期、体制批判につながるとして封じられてきました。それに、それ以前から「人種民主主義」の神話が広まっており、ブラジルに人種差別はないと国内外で長く信じ込まされてきていたのです。しかし実際には、80年代に軍事政権が倒れて民主化されてからも、ブラジルの黒人たちは就職や収入で格差や不利益を被っています。21世紀になって不平等是正のため、黒人への優遇措置が導入されましたが、社会にはいまだ根深い差別が存在します。
私が研究を通して見てきたことは、人種差別の理不尽さだけではありませんでした。植民地支配下でも軍事独裁政権下でも、遠い国の同志の姿に励まされ、果敢に差別や人権侵害に対して異議申し立てを続けた黒人たちの姿です。その事実を知ることは、現代を生きる黒人たちにとっても意味あることだと信じています。
この一冊
『アフリカ・ラテンアメリカ関係の史的展開』
(矢内原勝・小田英郎/編 平凡社)
大学院に進むとき、アフリカとラテンアメリカのつながりを研究したいと考えました。「そんな研究が成立するのか」と不安だったとき、この本の存在を知り、おおいに勇気をもらいました。私にとっては運命の一冊です。
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矢澤 達宏
- 外国語学部ポルトガル語学科
教授
- 外国語学部ポルトガル語学科
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慶應義塾大学法学部政治学科卒、同法学研究科政治学専攻後期博士課程単位取得退学。博士(法学)。敬愛大学国際学部国際協力学科専任講師、同准教授、上智大学外国語学部ポルトガル語学科准教授を経て、2015年より現職。
- ポルトガル語学科
※この記事の内容は、2022年11月時点のものです