古代ローマの石版から現代のSNSまで、広報の歴史をひもとく

文学部新聞学科
准教授
国枝 智樹

企業や政府が行う広報、PR(パブリックリレーションズ)の歴史を研究している文学部新聞学科の国枝智樹准教授。「広報の歴史はコミュニケーションの歴史」と語ります。日本では比較的新しい学問領域の、研究のおもしろさや意義について解説してくれました。

広報、PRとは企業や政府が目的を達成するために行うコミュニケーションやその考え方です。企業が自社の製品を消費者に購入してもらうため、政府が感染対策を国民に実践してもらうため、あらゆる組織がそれぞれの目的のために日々、広報をしています。その手法はニュース番組で取り上げてもらうことからSNSでつぶやくことまで、多種多様です。私の研究ではこうした活動の歴史をたどっています。

現在のPR会社に相当する企業が誕生したのは20世紀初頭のアメリカでしたが、広報、PR自体は古くから行われていました。古代ローマでは市民に向けて元老院の議事などを刻んだ石が定期的に掲示されていましたし、中世ドイツでは皇帝が自らを賛美する、優れた詩や歌を作った詩人に土地を与えたりしていました。

イギリス王室のオープンな広報戦略の背景

広報史を調べていると、特定の業界や組織の広報活動が盛んになる背景には何かしらきっかけがあることがわかります。例えば現在のイギリス王室は積極的にメディアに露出し、SNSを活用することで知られていますが、そうなったきっかけは1997年にダイアナ元妃が交通事故死をした際、沈黙を通した王室に国民の批判が集まったことです。また、日本では安倍晋三元総理が「地球儀を俯瞰する外交」という方針を掲げ、在職中に80もの国や地域を訪問し、各地のメディアで取り上げられました。世界に向けた広報を強化したきっかけは国際競争の激化でした。

研究では大きく2種類の資料を扱います。一つは研究対象とする組織の広報物です。もう一つは、広報物やその内容に関連する第三者が残した文献です。組織の広報物は往々にして都合の良い情報や出来事の解釈しか載っていません。その実態を理解するためには違う視点が必要です。2種類の資料を突き合わせると、「本音と建て前」が介在する広報の本質が少しずつ見えてくる。政府広報からは民主主義の実態が、企業広報からは環境問題への取り組みなどの意外な実態が見えてくる。これが個人的にはとてもおもしろい。

未開拓の分野に挑戦したい

実は、最初から広報の歴史を研究しようと思っていたわけではありません。大学院では当初、なぜ特定の社会運動がメディアの注目を集めるのかについて調べていました。やがてメディア論やジャーナリズム論の本や論文には記されていない側面――政府や企業が用いるメディアに注目される方法や、「メディアに注目される」ことを支援するPR業界について知りました。社会に影響を与える重要な側面であるにも関わらず、日本ではあまり研究されておらず、その歴史に至っては海外でもほとんど明らかになっていなかった。「ならば未開拓の分野に挑戦しよう」と思いました。

広報の歴史は実務にすぐ役に立つ分野ではありません。ただ、古代から現在まで、政府や企業、市民団体がいつ、なぜ、どのようにコミュニケーションしてきたのかを調べていくと、歴史的な視点から現在の課題を理解し、将来を予想できるようになります。今後さらに研究を進め、学生や社会に広報の過去と現在、可能性と課題を伝えていきたい。「日本はPRが下手だ」とよく言われています。日本の、世界の将来のためにも、広報、PRのスペシャリストとなる人材育成のサポートができればと考えています。

この一冊

『世論』
(W.リップマン/著 掛川トミ子/訳 岩波文庫)

1922年に刊行された、ジャーナリズムの古典です。百年前もマスメディアが社会に与えていた影響について分析しています。大学4年生の頃に読み、メディアと社会の関係やメディアのあるべき姿についてより深く考えたいと思うようになりました。

国枝 智樹

  • 文学部新聞学科
    准教授

上智大学法学部国際関係法学科卒。同大学大学院文学研究科新聞学専攻博士前期課程・後期課程修了。博士(新聞学)。大正大学表現学部表現文化学科助教、上智大学文学部新聞学科助教を経て2019年度から現職。

新聞学科

※この記事の内容は、2022年9月時点のものです

上智大学 Sophia University