国際関係の理解に欠かせない「ナショナル・アイデンティティー」とは

人々が自分の国や民族の特質や役割について持つ意識である「ナショナル・アイデンティティー」を、外交政策や国際秩序の変動と絡めて考察している国際教養学部の安野正士教授。国際秩序を維持するために重要なこととは?

国際関係では、「日本はこういう国だ」「世界の中での日本の役割は○○だ」といった話をよく耳にします。このように、個々人が「自分の国」の特質や役割について持っている意識、考え方を「ナショナル・アイデンティティー」と言います。

人間には自尊心があるので、自分の国についてもなるべく肯定的なイメージを持とうとしがちです。それが政策に影響し、国際紛争につながることもある。私の研究はナショナル・アイデンティティーと外交政策の関係を国際秩序の変動と絡めて考察すること。とくにロシアと日本の場合を対象にしてきました。

研究のきっかけは学部生時代、ロシア革命について学んでいた時のことです。ロシア革命は、専制政治に苦しむ民衆の不満や第一次大戦時の食糧難から起こったと説明するのが一般的ですが、ある学者の本に、その本質は、18世紀以来西洋化に努めてきたのに追いつけなかったロシアが、「社会主義」を唱えて西洋を批判することで、劣等感を拭い去り、自尊心を満足させたことだった、と書かれていました。こうした視点は新鮮で、目から鱗が落ちる思いでした。同時に、明治以来の日本もロシアと似た経験をしてきたことに気が付きました。

日本のナショナル・アイデンティティーと中国の関係

そこで私は日露のナショナル・アイデンティティーの比較研究を行いました。その結果、西洋の影響のもとで自尊心を守ろうと努力してきた点では両国は共通していますが、対処の仕方は違っていたことが分かりました。伝統的に中国から強い影響を受けてきた日本は、自国を西洋とアジアの両方と比較したうえで、「西洋にはかなわないが、非西洋ではナンバー1になろう」というアイデンティティーを形成していった。それに対して、ロシアに大きな影響を与えたビザンチン帝国は1453年に滅亡してしまった。その結果、近代のロシア人は「西洋とロシア」という対比の中でロシアが優れていることを示そうとし、20世紀には社会主義の道を選択しました。ロシアと西洋との葛藤は今も続いています。

ナショナル・アイデンティティーは国際秩序のあり方とも密接に関係しています。国際社会では、強い影響力を持つ国々が、自国のアイデンティティーを押し広げる形でルールや秩序を作ろうとする。そうした力を持たない国々は、既存の国際秩序に順応あるいは反抗する形で自国のアイデンティティーを定義する。そうした対抗関係の中で国際秩序の形も変わっていく。ロシアのウクライナ侵攻や米中対立も、国際秩序をめぐるこうした綱引きの中で出てきた現象であり、ナショナル・アイデンティティーを理解せずには理解できないと思います。

ジクソーパズルを自分でつなげて作っていく感覚

技術が発展し、人の移動が活発になればナショナル・アイデンティティーがなくなり、国や国境の意味が失われる、という考え方もありましたが、現状はそうなっていない。それは単に人々が「偏狭な考え」に囚われているからなのか。国境が存在することの意味は十分には解明されていません。この点も研究対象にしていきたいですね。

研究では結論にたどりつくまで、自分なりの見通しに従って、無数の資料から関連する部分を探し、ジグソーパズルのようにつなげては確認する作業を繰り返します。うまくいかずにのたうち回ることもありますが、つながって視界が開けたときの爽快感は格別です。私の研究はすぐに現実政治に応用できるものではありませんが、同じ分野の国内外の研究者から評価をもらえるのが励みです。時を経て将来誰かの役に立つことがあれば、さらにうれしいですね。

この一冊

『ロシア革命論』
(倉持俊一/訳 T.Hフォン・ラウエ/著 紀伊国屋書店)

目から鱗となったロシア革命の研究本。大学4年生のとき、他のロシア革命の資料に納得がいかない様子の私に、あるソ連経済の先生がすすめてくれたものです。大学院生の時、マサチューセッツ州の田舎町に著者を訪ねたのもいい思い出です。

安野正士 

  • 国際教養学部国際教養学科
    教授

東京大学教養学部教養学科国際関係論分科卒、同修士課程中退。その後、カリフォルニア大学バークレー校政治学科博士課程修了。上智大学比較文化学部比較文化学科専任講師・助教授、上智大学国際教養学部助教授を経て、2019年より現職。

国際教養学科

※この記事の内容は、2022年6月時点のものです

上智大学 Sophia University